理を余す哥

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仰いだらカヨリの綺麗な顔があって、彼女は照れ隠すように縁側の外に目をやった。 「カヨリ......俺の名前さ」 リゼンは息を飲んだ。 「鯉に染めるって書いて鯉染」 カヨリは少しして溜息をついた。 「馬鹿だね。字ってのは本当に大切な人にしか教えちゃ駄目なの!」 そう言いながら彼女は薄明かりの中、少し微笑んでいた。リゼンもカヨリの膝の上に横になったまま微笑んだ。 「私は理を余す哥って書いて哥余理」 「あれ? 字は本当に大切な人にしか教えちゃ駄目なんじゃないの?」 「馬鹿!」 リゼンは笑った。 「哥余理、鼻歌聞かせて」 「いいよ」 しばらくしてカヨリの歌が聞こえた。 リゼンはカヨリの柔らかいふとももの上でそのまま眠ってしまいそうだった。 心に効く哥だった。 ※ 物の怪をも喰らう物の怪。理性を失った物の怪。野良と呼ばれる彼等を狩る者達は野良負いと呼ばれていた。 リゼンは野良負いとして数多くの野良を狩った。一年に数百もの野良を殺してきた。何度も野良の断末魔を聞き、血に溺れ、野良から救われた物の怪達から感謝の言葉を聞かされてきた。 そうして六年が過ぎた。 やがて感情は酷くつまらないものとなって、野良の断末魔にも血の沼にも物の怪の感謝の言葉にも何も思わなくなった。 いつか記憶すらも薄れ始めていた。 地方の豪族から便りを得て、リゼンはある夜、豪族の婚礼の式に出ていた。 その頃のリゼンといえば、無精髭の生えたやつれた男で、つぎはぎの着物を着て、深い笠をかぶって目元を隠していた。腰帯に古びた刀を差し、その刀の柄元は破れ、黒鞘は傷が多く白木の剥き出しの所もあった。 風情のない姿だった。 風情のない姿であったから、婚礼の宴の中、座敷畳の隅の方で襖に背を預け、提灯の灯りの向こうに見える縁側の庭の桜の木をぼうっと眺めていた。
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