理を余す哥

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上座には花嫁花婿が幸せそうな笑顔を見せ、囲む親族が酒に酔っている。誰もリゼンの方には目をやらなかった。 「お呑みになられないのですか?」 声がして、見れば女中が一人、日本酒の瓶を持ってリゼンの隣に腰を下ろした。 「仕事で来ているからな」 リゼンは騒ぐ宴の方を見て、また桜に目をやった。夜風が吹くとちらちらと雪のように白い花が散ってしまう。 「お名前は?」 女中が酒をそばに置きながら訊いた。その女はまだ子供であった。野良負いが珍しいのだろうか。目を輝かせている。 「リゼン」 「素敵な名前。野良負いにはお師匠さんがいるんですよね? お師匠さんのお名前はなんと仰るのですか?」 「モズタチという男だ」 「まぁ! 有名な方ね!」 リゼンはしばらく誰かと喋ったことがなかったから、上手く話せなかった。それで笠を深くかぶって口を閉じた。 女中は気分を害したと思ったのだろう。 やがてどこかへ行ってしまった。 それからまもなく、家主が酔いに任せてなにか大声で喋っていた時のことだ。家の灯りが全て吹き消えた。 宴は熱が冷めていくかのようにぞくりと静かになって、青白い薄闇の中、桜の花弁が庭で踊っていた。 向こうの門の方から庭の敷石をじゃりじゃりと踏んで、何かがぬるりぬるりと歩いてくる。皆が息を飲んだ。 リゼンは立ち上がった。 その野良が縁側に足を掛けて部屋に入ろうとすると床が軋んだ。 リゼンと向き合って野良は止まった。 海藻のような黒い髪の下から黄色い瞳がリゼンを見下ろした。牛の角が生えていて、口が大きく中は空洞であった。皮膚に皺が寄り、身体は人形のような服を着ていたが妙に背中が曲がっていた。太い腕が右に一つ。左に二つあった。 野良が唸る。人間の声で唸る。 そしてすぐに大きな腕でリゼンの肩を掴むとその首に喰らいついた。リゼンはぴくりともしなかった。黒い血が首から溢れても、花嫁は悲鳴をあげたが、リゼンは気にしなかった。
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