「先輩」

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引き伸ばした矢に肩口を近づけると、外野の音は完全に遮断された。視界が捉えるのは、その的だけ。 いつものタイミングで指先から矢が放たれる。瞬きする間もないまさに一瞬のそのあとで、心を突くような鋭い音が耳に届いた。 そして、蝉時雨にも似た歓声が戻ってくる。 拍手と囃し立てるような声ははっきり言ってうるさかった。 床の上に座りながら、次の射の準備を進めるものの気が散ってしょうがなかった。音が起きるのはしょうがない。見学を許した顧問と部長の判断のせいなんだから。でも、せめて音が聞こえないように、視線が邪魔をしないように、空気を汚さないように、行射に集中させてほしい。部員に失礼じゃないか。 息を整えて、再び弓を開く。 そのとき。禁止されたはずのシャッター音が弓道場に鳴り響いた。 「……ウソでしょ」 静かに弓を戻したものの、心はもう沸騰直前だった。息を呑んでぐっとお腹に力を込める。 音のした方へみんなの視線が注目した。不謹慎にもほどがある明るい茶髪のいかにも頭の軽そうなその男は、にへらと気持ち悪い笑みを浮かべた。 「いや~ごめんごめん。一実(かずみ)ちゃんがかわいすぎてさぁ。思わず撮っちゃった。まあ、いいじゃん? 1枚くらい? それに弓道部の宣伝にもなるっしょ!」 収めたはずの怒りが沸き上がる。私の体は気がつけば勝手に走り出していた。 「ふっざけんな!!」 後ろから発せられた心臓を揺さぶるような巨大な声にその行動はストップさせられた。 「せんっ……ぱい?」 私よりも一回りほど背の高い先輩は、太い眉と目をつり上げた怒りの形相で大きな足音を鳴らしながら道場の外へ出ると、いきなり茶髪の男子を殴り付けた。 鈍い音とともに鼻血が飛び散り、一気に騒然となる。なおも反撃しようとした男子の胸ぐらをつかみ、パンチを繰り出そうとした先輩を乱入した主将が後ろから抱き抱えるようにして止めた。 「やめろ! それ以上やれば、大会出場停止になるぞ!」 「何を! もとはといえばお前が公開練習なんてするのが悪いんだぞ! だから俺は反対してたんだ!」 「それは、すまん!」 「わかったならいいんだよ」 主将と先輩はわだかまりが解けたみたいだけど。 「……あの、先輩。その人苦しそう」 「あ……ごめん」
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