「先輩」

3/10
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
試合に向けた射詰めの練習を終えたあと、道場を出たところで矢筒を肩に掛けた先輩の姿があった。いつもなら素通りするところだが、さっきのことがあったからさすがに無視することはできなかった。 「先輩。一応、お礼を言っときます」 ビクッと肩を震わせて先輩の見たくもない顔が、嬉しそうに振り向いた。 「あーいや~あれくらいのことーー」 「だからと言って先輩のストーカー疑惑が晴れたわけではないですから、絶対に勘違いしないでください。それじゃ」 一秒でも早く会話を終了させたくて早口で言うと、すぐにその場から離れた。先輩が謎の言葉を発していたけどもうシャットアウト。それに急がないとバイトに遅れる時間だった。 校舎を抜けて校門を出たところで、涼しげな風が吹いた。暑かった太陽も長い下り坂の先の水平線へと消えかかって、今日最後の灯を燃やしているところで、もうすぐ長い夜の時間帯がやってくる。汗だくになった体にはとても心地よかった。 部活帰りの生徒達で込み合う高校前のバスに揺られて、駅前で降り、これまた高校生でにぎわうファストフード店の裏口から入る。 「お疲れ様です!」 休憩中のスタッフ何人かに向かってあいさつすると、元気のいい返事が戻ってきた。 ライトグリーンで統一されたバイトの制服に着替え、レジへと立つ。 いつも通りのマニュアル笑顔で「お客様」をさばく。ちょうど夕食時ということもあってか、店内はいつも通り混み合っていた。次から次へと押し寄せる注文の波に乗ることで、しばらくは忘れていたけど、ピークが去ったタイミングで残念なことに先輩のことを思い出してしまった。絶対先輩と話してしまったからだ。 あれは忘れもしないバイトを始めたばかりの入学式を終えた二日目。まだ仕事に慣れない私に初めて話しかけてきた「お客様」が、先輩だった。なんだこいつと思いながら、適当に話を聞き流していた私に先輩はこんな質問を投げ掛けてきた。 「伊藤さん、うちの高校の新入生だよね。俺、三浦徹平、覚えてない?」 「!」 その名前には聞き覚えがあった。昔子どもの頃によく遊んでいたいとこの名前。 びっくりしたと同時に違和感も感じた。なんで私が伊藤一実だと知っているのか。 お母さんから聞いているという可能性はなかったし、入学式で名前を呼ばれたわけではない。もしかしたら先輩は、私が一実だと気づいて後をつけてきたんじゃないか。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!