第三章 桜の夢(1)

5/5
32人が本棚に入れています
本棚に追加
/190ページ
 葵は調合室に入ると早速髪をポニーテールに結い、白衣に(そで)を通す。  そして作業台に香料を並べていった。 (何だか久しぶりに普通の調合をするみたい)  思わずくすりとしてしまう。  全ての香料は炭素、水素、酸素の組み合わせによって作り出すことが出来ると知った時にはそれこそ魔法みたいだと思ったし、今でもそう思っている。  誰もが酔いしれるような極上の香りも、鼻のねじ曲がるような悪臭も全てその三つの配合の割合だなんて信じられない。  そして今から調合する桜。  桜の香りのイメージは桜餅の香り。つまり、それはクマリンという物質だ。クマリンは様々な香水のエッセンスとしても用いられる有名な香料だ。  生きている桜の花弁や葉っぱからクマリンは発生しない。  塩漬けにしたり、傷つけたりすることでクマリンが生成され、和菓子屋さんでも嗅ぐことの出来る独特の芳香を放つ。  ただクマリンを使うだけでは芸が無い。  というより、これまでどこかの幻香師がやっていることだろう。  満開の桜を頭の中でイメージしつつ、フレッシュで青みがかった香りのプチグレイン、瑞々しい柑橘(かんきつ)系のネロール、杏子(あんず)やチェリーなどに含まれるベンズアルデヒドを初めとして様々な香料を合わせていき、割合を様々に変えて調香を試みた。
/190ページ

最初のコメントを投稿しよう!