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 もちろん、私は昔から占い師だったわけではないし、占い師のもとで修業をつんだわけでもない。  小さな弟たちが集めてきたがらくたの中に、たまたま一組のカードをみつけた、すべてはそれがはじまりだったのだ。  それまでの私は、路地裏でかごにつめた雑貨を売り歩いて暮らしていた。安っぽい香料や葉巻、効き目のあやしげな薬草や煎じ薬などを。  細い通りが入り組み、家々が狭い軒先を押しつけあっている町だった。お嬢様とはほど遠く、昼間は売り子、家に帰れば多忙な大人たちにかわり、弟妹や近所の子どもたちをまとめて世話する生活だ。  大変ではあったが、それがその町の少年少女の一般的な暮らしだった。  ただ町の意外な長所としては、読み書きの教育に熱心だったことがあげられる。おかげで私は、カードについていた手引書の細かい文字をすらすら読み進むことができた。  カードは黒白だけの粗い刷り上がりで、ずいぶん古びたものだったが、異国風の意味深げな図柄が綿密に描き込まれているのだった。  しかも同じ図柄は一枚もない。大人たちが占いに使うあのカードだということがすぐにわかった。  小さいころ、流しの占い師の仕事を一日中眺めていたことがある。  そのときは難しそうに見えたものだが、読んでみればいたって簡単、切って混ぜて裏返し、所定の位置に所定のカードをおいていく。そしてそれを所定の手順でひっくり返す。  絵柄の意味はすべて手引書に書いてある。字さえ読めれば誰だってできそうだ。  占い師の手つきをまねて私がカードを並べてみると、子どもたちがもの珍しげに寄ってきた。私は彼らを見まわして、おごそかに微笑するとこう言った。 「さあ、みんな。知りたいことをたずねてごらん」  ──七日後には、私はいっぱしの占い師だった。占いがあきれるほどよく当たったため、噂を聞いた人々が次々にやってきたのである。  私は道の端に唐草模様の布を敷き、木箱の台にカードを並べて人々に応対するようになった。  長い黒髪と黒い瞳の私が胡坐をかいてすわっている様子は、何年も前からそうしていた人のように、もっともらしかった。実際には本を片手に、あっちをめくりこっちを探しという状態だったのだが。  とはいえ、道端で占っていた内容といえば、ごく他愛のない事柄ばかりだ。 「今日の俺の運勢はどんな感じだい?」」「かみさんと喧嘩しちまった。仲直りできるかな」「最近体調がよくないけど、どうしたもんかねえ」  たとえば開いたカードに、うつろいを示す水面の図柄が描かれていたとする。私はこう答える──残念ながら運気がとても不安定。おとなしくしていたほうがいいでしょう。  たとえば卓に置かれた天秤の図柄だったとする。答えはこうだ──調整の気持ち、中庸の態度を表すカードです。きっと仲直りできますよ。  一組の双子が背中合わせにたたずむ図柄だったとする。そんなときはこう言えばいい──肺炎や喘息にかかりやすいので十分注意するように。  売り子のときには見向きもされなかった私の声が、たやすく皆を振り向かせ、いつのまにやら列さえつくらせている。それはいままで味わったことのない、不思議な快感だった。  木箱の横に空き瓶をおいてみると、人々は言われなくても何枚かの銅貨を落としていくようになった。それまでは安い葉巻をさらに安く値切ろうとする客たちと、えんえん言い合っていたというのに。  ある日、赤ら顔の大男がやってきて、つきをもたらす数字を言い当てられるのかと聞いてきた。私はうなずき、カードの意味する数字を男に告げた。  いつもと同じように、それは簡単なことだった。男は半信半疑の顔つきで帰っていった。  しかし翌朝、彼はふたたびやってきた。赤ら顔はいっそう赤く、私が用意したばかりの木箱の上に、握りこぶしほどの革の袋をどんと置いた。  やけに重そうだったが、それもそのはず、袋の中は銀貨でいっぱいだった。 「賭博で儲けた。あんたのおかげだ」  と男は言った。  私は、その銀貨のいくらかを私に分けてくれるのだろうと思った。けれど彼は革袋を私に押しつけると、袋ごと私を抱き上げた。  驚いたものの、私に抵抗する理由はなかった。生まれた町から、こうして私は連れ出されていったのである。
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