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 恰幅のいい紳士は世界をまわる貿易商だった。何人もの水夫たちが彼に雇われ、大きな帆船を動かしていた。  彼が住んでいるのは目抜き通りに面したお屋敷で、そこでは夫人と二人の愛娘が、使用人に囲まれてぜいたくな暮らしを楽しんでいた。  私は離れの部屋をあてがわれ、清潔な衣裳を身につけて、髪には香油をすりこんだ。  商人は各地で仕入れた美しい布地を、私のためにしばしば持ち帰ってくれるのだった。そしてテーブル上に地図を広げて、私の言葉を待ち受けた。  彩色された大きな地図には、濃いクリームの陸地とそれを取り巻く青緑色の海があった。海と陸をつないで、帆船の航路が優美な曲線を描いている。  その曲線を指し示しながら、私はカードの意味するところを告げるのだった。たとえば方角は東南東、出航は二十日後の日の出の時刻、積み荷は衣料──食品はまたの機会を待つように──。  商人が私の言葉をどのくらい本気にしていたのかはわからない。しかし商いは順調に進んでいるようだったし、苦情を言われたことも一度もなかった。  とはいえ、お屋敷内でもっとも私を必要としていたのは、商人ではなく彼の娘たちであっただろう。  人形のようにかわいらしい巻毛の姉妹は、両親にかくれて離れに顔をのぞかせては、私に占いをねだるのだった。  それは恋の占いだった。  お目当ての殿方と語らう場所、時刻、身につける服や靴や小物の色。別れの気配、そしてあらたな出会いの予感。  私をみつめる姉妹の眼差しには尊敬と羨望の色があった。 「どうしてそんなに腕がいいの?」 「いったい誰に習ったの?」 「ねえ、教えて」  誰に習ったわけでもないし、特に腕がいいわけでもない。ただカードを手に入れる幸運が私にあっただけの話だ。  だから、巻毛の姉妹が無邪気に私の部屋に入りこみ、カードをいじりまわしているのを見たときは、少なからずどきりとしたものだった。  手引書をめくる二人の姿に、私はこの豊かな生活が終わりを告げることを覚悟した。本さえあれば誰にだって占える。大金を使って私を雇う必要など、どこにもない。  ところが──。運よく、というのか何というのか、姉妹の占いはまったく当たらなかったのだ。  これには姉妹よりも私のほうが驚いた。けれどもちろん、その驚きはすぐに喜びにかき消された。  私はまだ運に見放されてはいない、路頭に迷うこともない──それに、この件について深く考える暇は私に与えられなかったのである。  ある日、お屋敷の前に到着したのは、二頭立ての白馬にひかれた馬車だった。金色の天蓋、頑丈な車輪、窓にさがった布には王家の紋章が縫いとられている。  私は、自分の評判がいつのまにか、王家からの使者を呼ぶほど響き渡っていたことを知った。  振り向くと、貿易商人やその娘たちが平伏していた。私は彼らの役に立ってきたし、いままた私を王宮に送り出す名誉やそれ相当の報酬を与えることができただろうと思った。  そこで私は金色の馬車に乗り込んだ。丘の上にそびえる王宮に向かって、馬車は軽快に進んでいった。    
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