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 王宮の悲嘆をうつすように降り出した雨は、雨季でもないのに延々と続いてやむことを知らなかった。  低い雷鳴が呪文のように唸り続け、雲と大地の間に押し込められた大気は重く淀んだ。  この不快な天候に追い打ちをかけられた王妃様は、寝所にこもり一歩も出てこようとしなかった。  しかし王様には、彼女をなぐさめるだけの余裕がなかった。政務に忙殺されて眠る暇さえなかったのだ。  海を越えてやってきた大国の船団が、不合理な条約を突きつけながら上陸を開始していた。抵抗した港町から火の手が上がり、二国の交渉を待たないうちに戦火が拡大しつつあった。  私は王様や重臣たちに取り囲まれて、朝から晩まで占うことを強いられた。  血走ったいくつもの目にうながされるまま、何度も何度もカードをめくる。いくらめくっても現れるのは悪夢のような図柄ばかりだというのに。  崩れ落ちる館、笑う骸骨、群れなす飢えた獣たち──。  小さく震える私の指を励ますのは、楽士が奏でてくれる弦の音(ね)だけだ。たとえ音楽とは裏腹に、弾き手の顔がこわばっていたとしても、助けとなるのはそれしかない。  私の手元をにらみつける王様の顔は疲れ切り、十も老けこんでしまったように見えた。  彼の姿は、下町の道端に座り込んでいる浮浪者の姿に似ていた──実際には頭に王冠を戴き、金糸銀糸に身を包んでいたのだが。  彼は浮浪者が酒を求めるような目つきで、私に占うことを要求した。  彼が何を求めているのか、私にはよくわかっていた。適中するかどうかなど問題ではなく、ただ明るいカードを見て、いっときだけでも安心したいのだ。  しかし期待はむなしく裏切られ続ける。傾いてしまった運勢の前では、個人の希望など大河に落ちた小石ひとつにもならない。  それでも私は祈りをこめてカードを開く。そこには火難の相がある。すると落雷が広場を打ち、犠牲者多数との知らせが入る。  疫病の相が出る。するとついに雨がやんで太陽が照りつけ、日差しとともに病原菌が活動を開始する。  私は使いこまれて縁のすりへったカードをみつめ、まるで未来がカードに操られているようだと気づいてぞっとする。  カードが未来を言い当てるのではなく、未来がカードの預言どおりに進んでいるのだ。  そんなことがありえるだろうか。まさか、ありえるはずがない。  たかが古びた紙切れの集まりが、未来をつくり出すなんて。  だが一度めばえてしまった不安は、しだいに私の中で真実の重みを増していく。自分がカードの意味を口に出したとたん、その言葉どおりの未来がたちまち組み上がっていく気さえするほどだった。  私はもう占いたくなかった。しかし王様の命令をこばむだけの力は出ず、重臣たちが迎えに来ると、糸にひかれるように立ち上がって部屋を出た。  そしていったん用意された席につけば、今度は糸にひかれるように次々とカードを並べてゆく。  本当はこう叫びたいのだった。  占いなんかに頼るのはやめてよ。自分の運命は自分で決めてよ。あんたは王様なんでしょう?  だがそれを口にすることはなく、私は何かにとりつかれたようにカードをめくる。私だけでなく、王宮全体が熱にうかされているようだった。  ある雷鳴がとどろく夕暮れに、私が不安な気持ちで回廊を歩いていると、向こうからふらふらと女が近づいてきた。  女は王妃様で、私の前に立ちふさがると指を突きつけてこう言った。 「魔女。お前のせいですべてが狂ってしまったのよ」  それはちがうと私は叫び出したかった。  私のせいじゃない。私はただ、カードの意味を伝えただけ。手引書の言葉をそっくり繰り返しただけ──。  それならどうして、巻毛の姉妹の占いはまったく当たらなかったのか?  稲妻が光り、逆光で王妃様の表情は見えなくなった。気配を感じて振り向くと、私の背後には、王様や重臣たちが光に照らし出されながら立っていた。  弁明をとなえるくらいの時間はあったかもしれない。王妃様の子宮は脆弱だった、王様は大国との外交に鈍感だった、天候不順など人の意志のおよぶところではない。  しかし私はそうしなかった。何かひどく思い当たるような気がして胸がつかえ、声にならなかったのだ。  そして、人々の中に宮廷楽士の青い顔を見出したとき、私はたまらず回廊から庭園へと飛び出していた。  そのようにして王宮から逃げ出した私は、はてしなく追いかけられる身の上となったのだった。  つかまれば磔の刑にされるのは目に見えていた。人々は元凶を欲しがっている。こんなひどい世の中になってしまった理由をみつけて安堵するために。  王様の手勢のしつこさは驚くばかりだったが、それは彼らの恐怖と怒りの表れでもあった。  私は逃げ、王都から離れ、見知らぬ土地の町や村をぼろぼろになりながら逃げまどった。  夢中で移動するうちに、故郷の町は彼方に遠のき、足は自然に北へ向かった。  行きつ戻りつをくり返しながら、そうしてついに国境を越え、追手のいない寒く辺鄙なこんな土地まで逃げてきた。
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