逢魔《おうま》が時

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 女は目に砂が入り、思わずそれをつぶった。その時、右肩を後ろから、強くつかまれ、背後へ体が傾いた気がした。自分たち以外、気配がなく、誰もいないはず。 「え……?」  女は後ろへ振り返ったが、人どころか、虫一匹もいなかった。再び前へ向こうとしたが、何かに引っかかったように、女の足が突如もつれた。足元に段差があるわけでも、石が転がっているわけでもない。それなのに、足首を誰かにつかまれたように、地面の端ーー谷底へと引きずり込まれ、 「きゃあっっっ!!」  女の悲鳴が響き渡り、男は振り返った。そこには、転落防止柵の隙間から、身を半分、断崖絶壁に乗り出している、女の姿があった。 「真里っ!!」  慌てて近寄り、男は女に手を伸ばしたが、無情にも女の手はすり抜け、 「真里ーーーーっっ!!!!」  男の悲痛の叫びが夕暮れの山中にこだまし、女という白い花びらが1つ、谷底へ落ちていったーーーー  ーーーー治安省、聖霊寮。  相変わらず、渦高く積まれた、未解決事件の資料の山。  その隙間の埃だらけのスペースで、国立は、ひとつの事件の資料を広げていた。ホンブルグハットのつばを指先でつまんで、鋭い眼光を紙に穴があくほど刺し込んで、 「度重なる転落事故? 多額の保険金? また、オレの目がおかしくなってんのか? 現場(げんじょう)が1mmもずれてねぇ、どんな玄人(くろうと)だ? マッチしすぎだろ」 (初見はシンプル。  がよ、本質は複雑っつうのは、よくあるぜ。  お化けさんの世界にはよ)  そこで、毎日1回、必ず自分のところへやって来る、粋のいい男の声を聞き、 「また、新しい事件っすか?」  国立は気だるそうに視線をそっちへやった。 「あぁ?」  自分がここへ左遷される前から、したってくれている20代前半の若い男は、 「兄貴なら、すぐ解決っすよ」  並べられた写真を、太いシルバーリングをはめた、人差し指の第2関節で、国立は軽く順番に叩きながら、 「どれが(じゃ)(邪神界)さんで、どれが(せい)(正神界)さんなのか、わかんねぇんだよ」 (どいつしょぴいて、歌わせりゃいいんだ?)  霊を感じる力があるだけで、国立には姿は見えないし、話もできない。しかも、邪神界の者によって、幻を見せられ、嘘を教えられることが、霊界ーー常世では簡単に起きる。
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