94人が本棚に入れています
本棚に追加
気を取り直し、何事もなかったかのように立ち上がると、北の塔に向かって疾風の如く(気持ちだけは)走り出した。
宮殿には3つの塔がある。東の塔はジェルサ・レーアの歴史書をはじめとする書物庫、西の塔は食糧貯蔵庫。それらは宮殿と渡り廊下で繋がっているが、北の塔だけは独立している。そもそも何の目的で造られたのか、戦乱の時代には捕虜の収監所であったとも聞く。平和を取り戻した現代においては、北の塔を訪れる者など──
(そういえばべリアルは、北の塔の最上階に、プルミエ・マージの秘密の小部屋があると言っていたわ)
その部屋は果たして国王から正式に許可を得たものなのか、それとも勝手に、内密に使用しているのか。
(プルミエ・マージには宮殿内に立派な部屋があるのに。北の塔の小部屋は、きっと無断で使ってるんだわ。でも、なぜ……)
胸の奥に、どす黒い渦が蠢くのを感じた。魔導師──大神リアーの言葉を聞き、人々に教えを説く者。マージの言葉は、すなわち大神リアーの言葉………そうした者に、特別な地位を授けたことが、そもそもの間違いだったのでは──
「あっ──」
何かにつまずき、イーリスは派手に転倒した。膝、肘、それに顎も打った。
(痛……)
自分を転倒させたものの正体を見極めようと足先に目を向けると、少し離れたところにランタンが転がっていた。誰かが落としたのか。いや、いくらなんでもランタンを落としたら気付くと思うが。
地味な痛みを堪えつつ体を起こすと、北の塔はもう目の前だった。闇夜に聳える塔は漆黒の影となり、イーリスに覆い被さってくる。そのあまりに禍々しい威圧感に、心が折れそうだ。
(いいえ……怖いと思うから怖いのよ。大丈夫よイーリス、これはただの建物。少しも怖いことなんてない)
そう自分に言い聞かせても、腹の奥から沸き上がる震えを止めることができない。だが、ここで引き返すわけにはいかない。国の平和は自分にかかっているのだ。
最初のコメントを投稿しよう!