沈黙と花

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 呼び出された職場で、孝彦は上司と警察から質問を浴びせかけられた。お前が保守を担当した箇所で脱線があったのを理解しているのか。レールに異常を感じなかったのか。なぜ気づけなかったのか。孝彦が上手く答えられずに無言でいると、詰問は怒声に変わっていく。 「まさかお前が細工したのか?」  この時ばかりは毅然と孝彦は答えた。 「いいえ」 「やけにはっきり言うじゃないか」 「俺は下っ端です。異常を見つけるのが仕事ですが、異常の作り方は知りません」  上司は現場監督の社員に探りの目を向ける。彼は孝彦に打音検査を教えてくれた男だった。この状況に置かれた孝彦を気の毒に思っていたのか、年季の入ったしゃがれ声で彼は迷わずに言った。 「誰がその箇所を担当していたのか記録してあるのを知りながら、レールに細工をして事故を起こすというのは、あり得ないかと」  加えて言うなら、彼はとても勤勉でした。問題行動に走るような人間には到底思えません。白髪混じりの社員は締めくくった。上司はその社員を信頼しており、言葉を詰まらせたように唸った。  孝彦は理解していた。彼女の声が聞こえた瞬間、彼はハンマーを振るっていた。その音を思い出す事はできなかった。そしてふらふらと歩みを進めてから、社員に叱責されたのだ。孝彦の点検には二歩分の穴が存在している。そこに致命的な傷があれば、この事故は必然となる。孝彦は俯いて、また黙った。それは森の奥深くで哲学書を読みふける熊のような格好だった。上司達は孝彦の沈黙を、事故の責任を感じ、ショックのあまりに言葉を失っているのだ、と受け取った。  その後、数ヶ月に渡って職場とのやり取りは続けられ、孝彦はさらに無口な男になった。鬱病なんじゃないか、と上司に諭されて孝彦は仕事を辞めた。孝彦を慮っているようで、ざらざらとした鑢のような声を聞いて、早く辞めてくれと言われているのだと気づいた。孝彦もそのまま仕事を続けられるほど無神経ではなかった。彼女の声に気を取られたという事実を孝彦は一切口にしなかった。孝彦のミスはヒューマンエラーという名前をつけられ、未熟な作業員には監督者をつきっきりで置く、という対応策が講じられた。それでおしまいだった。
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