1人が本棚に入れています
本棚に追加
警察署を尋ねると、受付の女は孝彦の姿を見てぎょっとしていた。一九〇センチに近い熊のような大柄な男が、スーツを着て現れた。それだけの事が受付の女に本能的な脅威を予感させていた。孝彦が話しかけようとすると、奥の事務机から男が歩み寄ってきた。
「どうされましたか」
細身のフレームの眼鏡をかけた男は言った。
「人を探したいんです」
「何日前から行方が判らないのですか?」
「今朝に」
「今朝?」
明らかに眼鏡の男は顔をしかめた。そして腕時計に目を落とす。銀色の文字盤は午前十一時を指している。
「もう少し、お帰りを待ってみたらいかがでしょう」
「帰ってこないと思います」
「事件性のある置き手紙でもあったのですか?」
それから紫苑の花束にまつわることを除いて、孝彦は男に事情を話した。いつものように寝て、起きたら彼女がいなくなっていた。その痕跡すら消されているようだった、と。その話を聞き、次第に眼鏡の男の表情は呆れの色が強くなっていく。
「つまりあなたはいなくなった女性と婚姻されている訳でも、血が繋がったご家族という訳でもないんですよね」
「ええ」
「そうなりますと、男女の事情に警察が関わると云うのは筋違いかと思いますが」
慇懃な拒絶の言葉が、とっとと帰れウスラトンカチと叫んでいた。そこでようやく孝彦は自分がどうしようもなく奇妙な行動をとってしまったのだと気づいた。彼女とはただの交際関係しかなく、彼女の行方が判らなくなったというのは、交際の破局を告げるものに他ならない。捜索願を出すような事柄ではなかったのだ。想像以上に自分が動揺していたのだと思い知る。苛立たしそうにこちらを見上げている眼鏡の男に、孝彦は頭を下げた。お手間をおかけしました、と静かな声で言い、その場を後にした。終始、凪いだ海のように穏やかだった孝彦の態度に、眼鏡の男は薄気味悪さを感じた。その凪いだ海面の下に、力強い海流が流れているとは誰にも、孝彦にも気づけなかった。
最初のコメントを投稿しよう!