2/48
前へ
/48ページ
次へ
「徹、話がある」  高校から帰った僕を迎えたのは、父さんの真顔だった。  ついに来た。  リビングに入ると母さんが座っている。歯を食いしばりながら、いすを引いた。 「おかえり。今日、病院に行ったらね」  母さんはいつも通りの笑顔だ。 「あと半年だって」  ずいぶんとさっぱり言う。  今日の晩ごはんは餃子よって口にするのと、なんら変わりのない軽い調子だった。 「ね、予想通りだったでしょ」  誇らしげに胸を張って、小さくガッツポーズまでしている。  いつも思うんだけれど、母さんってなに考えてるんだろう。  本当なら母親の余命宣告にうちひしがれるはずなのに、母さんの作り出す場違いで朗らかなムードに、僕の頭の中身は体から外れてしまいそうだった。  母さんには、あきれている僕がショックを受けたように見えたのだろう。  僕を慰めるためにか目尻まで下げている。 「それで本題なんだけど」  母さんはかすかにうつむいて、神妙な面持ちだ。  えっ、ちょっと待って。さっきのチョー重大発表だよね。病院からの衝撃の告知だよね。  なに?   さっき放った以上の話があるの?   僕を見つめる母さんの目が気のせいか光っている。悪ふざけを思いついた子供の顔だ。 「スペースドラゴンと戦ってほしいの」 「へ?」  出たぞ、母さん異次元殺法。もう僕の頭は完全にショートしていた。 「徹が父さんと戦う姿を、この目で見たいの」  父さんも初耳のようだ。口を半開きにしてまばたきも忘れている。 「なに二人とも同じ顔してんの」  手首をかくんと折りながら、今度は声を上げて笑った。な、なんでそんなに笑顔になれるの? 「い、いくらプ、プ、プロレスだからって、お、俺はわざと、負けるようなことは、し、しないぞ」  父さんも母さんの藪から棒に、まんまと舌をひっかけられて、つっかえながらしかしゃべれない。 「もちろんわかってる。徹がどれぐらい強くなったかを見ることができたらいいの」  強くって、僕、合唱部だよ。 「一生のお願い。だから、ねっ」  いつも目にしている女子高校生以上のかわいらしさで、母さんは僕を拝んでいる。  今年で四十一のはずなのに、異様に若く見えるのは、きっと自由気ままな性格だからだ。  それにしても「一生のお願い」のこんな正しい使い方ってないよなあ。  こうして僕のリングデビューは突然に決まった。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!

62人が本棚に入れています
本棚に追加