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「徹、話がある」
高校から帰った僕を迎えたのは、父さんの真顔だった。
ついに来た。
リビングに入ると母さんが座っている。歯を食いしばりながら、いすを引いた。
「おかえり。今日、病院に行ったらね」
母さんはいつも通りの笑顔だ。
「あと半年だって」
ずいぶんとさっぱり言う。
今日の晩ごはんは餃子よって口にするのと、なんら変わりのない軽い調子だった。
「ね、予想通りだったでしょ」
誇らしげに胸を張って、小さくガッツポーズまでしている。
いつも思うんだけれど、母さんってなに考えてるんだろう。
本当なら母親の余命宣告にうちひしがれるはずなのに、母さんの作り出す場違いで朗らかなムードに、僕の頭の中身は体から外れてしまいそうだった。
母さんには、あきれている僕がショックを受けたように見えたのだろう。
僕を慰めるためにか目尻まで下げている。
「それで本題なんだけど」
母さんはかすかにうつむいて、神妙な面持ちだ。
えっ、ちょっと待って。さっきのチョー重大発表だよね。病院からの衝撃の告知だよね。
なに?
さっき放った以上の話があるの?
僕を見つめる母さんの目が気のせいか光っている。悪ふざけを思いついた子供の顔だ。
「スペースドラゴンと戦ってほしいの」
「へ?」
出たぞ、母さん異次元殺法。もう僕の頭は完全にショートしていた。
「徹が父さんと戦う姿を、この目で見たいの」
父さんも初耳のようだ。口を半開きにしてまばたきも忘れている。
「なに二人とも同じ顔してんの」
手首をかくんと折りながら、今度は声を上げて笑った。な、なんでそんなに笑顔になれるの?
「い、いくらプ、プ、プロレスだからって、お、俺はわざと、負けるようなことは、し、しないぞ」
父さんも母さんの藪から棒に、まんまと舌をひっかけられて、つっかえながらしかしゃべれない。
「もちろんわかってる。徹がどれぐらい強くなったかを見ることができたらいいの」
強くって、僕、合唱部だよ。
「一生のお願い。だから、ねっ」
いつも目にしている女子高校生以上のかわいらしさで、母さんは僕を拝んでいる。
今年で四十一のはずなのに、異様に若く見えるのは、きっと自由気ままな性格だからだ。
それにしても「一生のお願い」のこんな正しい使い方ってないよなあ。
こうして僕のリングデビューは突然に決まった。
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