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「病院に行ったついでに買い物したから」  母さんは、さっさと食事の用意に取り掛かる。ピーラーからものすごい勢いでニンジンの皮が生まれ出てくる。  ジャガイモも負けてない。包丁を手にすると、測ったように同じ厚さで切り分けて、きれいに形を整えていく。いつみても鮮やかなもんだ。  フライパンに牛脂をすべらせて肉をのせる。音が爆ぜる間にひっくり返したら、塩と胡椒をひとふりして火を落とす。すばやくフタをした。  となりでは名前の通ったホテルのレトルトスープが温められている。  ピンク色の塩をふったポテトと甘く仕上げたニンジンを添えて、今日の晩ごはん、ステーキの出来上がり。  毎度のことながら手早くて上手だ。合理的な動きをさせれば極限まで無駄を省く、テキパキ子。その反動か、常人には理解不能なところが多々あるのが母さんだ。 「あしたっから、ごはんに力入れるわよー」  小さなステーキにもナイフを力強く入れている。ゆっくりと噛んだ肉を飲み込んでワインをちょっと飲んだ。 「リングネーム、考えちゃった」  ワイングラスを静かにテーブルへと置いて、いたずらっぽく目を細めた。どんなの? と僕が聞くまでもなく母さんは言い放った。 「ルート・セガレ」  父さんがワインを噴き出した。 「もう、なにやってんの」  母さんは、父さんの鼻から垂れるワインをティッシュで拭いている。仲良いよねって思ってたら、あとは自分でやっといて、とティッシュの箱を手渡して、僕に目をむけた。 「元に戻っただけよ」  なにがですか?   母さんのしゃべることは、いつも間がすっ飛んでいて、よくよく聞いてみないとわからない。  僕は今日になって初めて自分の名前の由来を知った。 「なにかね、数学に関係ある名前にしたかったの。ログやシグマ、ベクトルじゃちょっとまずいと思ったんで、ルートをひっくり返して徹にしたのよ。名案でしょ」  片眉をくっと上げて得意げだ。  母さんは、こういうふざけたことや冗談に全力を注ぐ。まさか子供の名付けにまで、そんなネタを仕込んでいたとはなあ。ほうっと感心するの半分、はあっとあきれるの半分。いや、四対六であきれてるかな。
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