62人が本棚に入れています
本棚に追加
「病院に行ったついでに買い物したから」
母さんは、さっさと食事の用意に取り掛かる。ピーラーからものすごい勢いでニンジンの皮が生まれ出てくる。
ジャガイモも負けてない。包丁を手にすると、測ったように同じ厚さで切り分けて、きれいに形を整えていく。いつみても鮮やかなもんだ。
フライパンに牛脂をすべらせて肉をのせる。音が爆ぜる間にひっくり返したら、塩と胡椒をひとふりして火を落とす。すばやくフタをした。
となりでは名前の通ったホテルのレトルトスープが温められている。
ピンク色の塩をふったポテトと甘く仕上げたニンジンを添えて、今日の晩ごはん、ステーキの出来上がり。
毎度のことながら手早くて上手だ。合理的な動きをさせれば極限まで無駄を省く、テキパキ子。その反動か、常人には理解不能なところが多々あるのが母さんだ。
「あしたっから、ごはんに力入れるわよー」
小さなステーキにもナイフを力強く入れている。ゆっくりと噛んだ肉を飲み込んでワインをちょっと飲んだ。
「リングネーム、考えちゃった」
ワイングラスを静かにテーブルへと置いて、いたずらっぽく目を細めた。どんなの? と僕が聞くまでもなく母さんは言い放った。
「ルート・セガレ」
父さんがワインを噴き出した。
「もう、なにやってんの」
母さんは、父さんの鼻から垂れるワインをティッシュで拭いている。仲良いよねって思ってたら、あとは自分でやっといて、とティッシュの箱を手渡して、僕に目をむけた。
「元に戻っただけよ」
なにがですか?
母さんのしゃべることは、いつも間がすっ飛んでいて、よくよく聞いてみないとわからない。
僕は今日になって初めて自分の名前の由来を知った。
「なにかね、数学に関係ある名前にしたかったの。ログやシグマ、ベクトルじゃちょっとまずいと思ったんで、ルートをひっくり返して徹にしたのよ。名案でしょ」
片眉をくっと上げて得意げだ。
母さんは、こういうふざけたことや冗談に全力を注ぐ。まさか子供の名付けにまで、そんなネタを仕込んでいたとはなあ。ほうっと感心するの半分、はあっとあきれるの半分。いや、四対六であきれてるかな。
最初のコメントを投稿しよう!