1

5/10
前へ
/10ページ
次へ
 翌日。もう授業も半分以上終わったというのに、まだ郁人が捕まらない。  あいつと俺は学科が違うから仕方ないのだが、いつもなら空き時間にはしょっちゅう俺のところに来るくせに。  おそらく、郁人にも昨晩の記憶はあるのだろう。しかし、気まずくて顔を見せないとなると、あのキスは酔った勢いの冗談ではなさそうだ。  授業が空いたので暇つぶしに部室に繰り出す。この時間は、郁人の授業も空いているはずだ。もしかしたら部室の方に来ているかもしれない。  意を決して部室の扉を開けるも、そこには誰もいなかった。もちろん郁人も。  あてが外れたが、いまさらどこかに出ていくのも面倒くさい。俺はパイプいすに腰かけ、その辺に放ってあった雑誌を手に取る。  すぐに雑誌を読むのも面倒になり、昼寝でもしようかとソファーの方へ移動する。いつの時代のか知らないが、誰かが持ち込んだものだ。  ソファーに寝ころんだ時、扉が開いた。反射的に起き上がる。  郁人だ。 「光汰……」  郁人は一瞬だけ固まったが、すぐに扉を閉める。 「あ、待て!」  俺も外に飛び出す。見渡すと郁人が猛ダッシュで逃げているのが見えた。脱兎のごとくってこういう時に使うんだな。 「待てえぇ! 郁人おおおお!!!」  大声で叫ぶと、さすがに郁人もギョッとして振り返る。 「ちょっと! 大声でひとの名前呼ぶなよ!」 「知るか! お前が止まればいいだけだろ!」  大声で言い合いながらキャンパス内を走り回る。二十歳にもなってなにやってんだ俺たち。  ようやく郁人が立ち止まったときには、お互いに息が上がってフラフラだった。 「光汰しつこい……」  肩で息をしながら、郁人がこちらを睨んだ。 「お前が、俺を……避けるから、だろ……」  俺も今はまともに会話できる状態じゃない。しばらくの間沈黙が続いた。  だいぶ息も整ってきたところで、郁人が膝についていた手を離した。とっさに郁人の腕を掴む。これ以上逃げられるわけにはいかない。 「離せよ……」 「離したら逃げるだろ」  郁人を見ると、昨日と同じ顔をしていた。キスする前の、今にも泣いてしまいそうな顔。  少しの沈黙の後、郁人が小さく呟いた。 「もう逃げないから……」  俺は黙って手を離した。郁人は逃げなかった。ただ、俯いて立っているだけだ。 「部室行こう」  郁人はそう言うと、スタスタと歩き出した。俺も後に続く。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加