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兄は、とても優秀だった。
その一言に集約してしまうのが憚られるほどに。
もう殆ど顔も覚えていないけれど、生きていれば間違いなく世の中に強く影響を与えたと思う。
兄が死んだのは、十四歳、中学二年生。
あたしはまだ小学二年生だった。
その頃の事は正直もうよく覚えていない。
そもそも小学二年生、世の中のことはおろか、自分のことさえもまだよくわかっていなかった。
でも、あたしは兄が大好きで、兄はあたしに優しかった。
どれだけ兄が優秀だと騒がれていても、あたしにとって兄は兄でしかなかった。
だからもしかすると両親や教師の言葉が大袈裟だっただけなのかもしれない。
ただ、そんなことあたしには関係なくて、わたしは兄が好きだった。
隙があれば兄の手に飛び付き、その手に引かれ、連れ添って歩いた。
「おにいちゃん、おにいちゃんはすごいひとなの?」
一度、兄にそう聞いたことがある。
あたしがそう言うと兄は立ち止まり一瞬目を見開いてから、穏やかな表情を浮かべた。
そしてあたしと繋がっていない方の手であたしの頭を撫でるのだ。
僅かに残っていた感覚も今ではすっかり消えてしまったが、
家族の誰に撫でられるよりも一番心地よい撫で方だったことは覚えている。
「ぜんぜん、僕はちっともすごくないよ」
兄は暫くあたしを撫でたあと、そう言った。
「そうなの?」
「そうだよ」
兄はあたしに嘘をつかない。
ならば両親や教師の言葉に嘘があるのだろうか。
一体なんの意味があって、大人達は嘘をつくのだろう。
「むしろ、凄いのは――のほうさ」
「えぇ、あたし!?」
予想外の言葉に、思わず兄の手を離してしまう。
あたしは慌てて兄の手にしがみつき、理由を問う。
「だって、友達が一杯いるだろう?」
少し寂しそうに聞こえたが、あたしにはその理由がわからない。
わからないことばかりで頭が一杯になって、何故かはわからないけれど涙が溢れてきた。
あたしのその様子に直ぐに気付き、兄はごめんごめんとまた優しく頭を撫でてくれる。
「……誰かに認めてもらうというのは、とても、とても難しいことなんだよ」
ぼそりと呟いた言葉の意味を、当時のあたしが理解出来る筈もない。
ただ悲しくて、兄に撫でられ続けた。
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