今も忘れない

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私は目の前の男を追っている。 赤のマウンテンパーカを着て猫背気味に歩く男は、40代くらいに見える。 ジーンズの尻ポケットから膨れ上がった長財布が飛び出している。きっと防犯意識は低くて暗証番号に生年月日を使うタイプだろう。レシートも捨てずに溜め込むから家も使わない物で溢れているんだろう。 男は、私に全く気づかない。 変わりばえのない住宅地を縫って、うねるような道を登っている。このほど15分ほど後をつけている。 午後9時を回ろうとしていて、そろそろ男の家についてもいい頃だ。 街灯が何度か男を黄色く照らした。私は光を避けた。 「何とか荘」とかいう類の古いアパートを想像していたが、男が入っていったのは意外にも一軒家だった。 鍵を取り出して中へ入って行く。 結局一度も振り返らなかった。 リビングらしき窓に明かりが灯ったのを見届けると、私は来た道を遡って、風景を記憶しながら真っ直ぐ家路へついた。 翌日。 昨日と同じ最寄りのスーパーで中年男を待つ。 今日は休日で何時までも待てると思い、同じ階のオープンカフェでコーヒーを飲みながら通路を眺めた。 午後4時。昨日と全く同じ赤のマウンテンパーカで現れたから、すぐに気がついた。 私はキャップで顔を隠し、男をしばらく観察する。 昨日は当てもなく歩いていたのが、今日は誰かを探すように商品棚からしきりに顔を出している。 金管楽器で奏でられる店のテーマソングが、張り詰めた空気を覆い隠す。 手頃な女性を探しているんだろうか。 昨日の私のような。 男を不憫に思った。 何をそんなに飢えているんだろう。寂しいんだろう。 昨日の夜、男が私に話しかけて来たときのことを思い出す。 買い物をしていた私は、店内行く先々で同じおじさんに会うなあと何となく気づいていた。 おじさんは立ち止まって商品を見る風でもなく、ただ私を追い越したり横切ったり当てもなくぷらぷらしている。カゴも買う物も手に持っていない。 いよいよ怪しく、きっちり巻いてから家に帰ろうと思っていた矢先、背の高い商品棚の間で缶詰を吟味していた私に、男が話しかけて来た。周りには誰もいなかった。
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