切れない絆

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「わぁぁっ、部長ぉー!」  ドアを開けるや否や新聞部の後輩が泣きついてきた。その大人しそうな黒髪を撫でながら望はつとめて冷静に声を落とす。 「君、どうしたの? 夏休み中とはいえ一年生が二年生のフロアに来るということは、よっぽどの事があったんだね」 「そうなんですよ! 助けてください! 僕が夏休み中に撮っていた写真とか記事のデータを三年生の人たちに取られてしまったんです! せっかく頑張ったのに、三年生に囲まれると怖くて……」  彼は悔しそうに顔を歪めつつ体を小刻みに震わせている。よっぽど怖かったらしい。 「よしよし、怖かったね。それでその先輩たちは何か言ってなかった? 例えばデータを返す条件とか」 「そ、それが……部長と話がしたいから呼んでこいって。そしたら返してやるって……」 「なるほどね」  望は目線を斜め下に落として静かに息を吐く。よくよく話を聞いてみると身体的特徴などから考えて、その三年生達はかつて望と肉体関係を結んでいた者たちだった。去年の冬からめっきり肌に触れさせてこなかったので、いい加減お預け状態にも飽きてきたのだろう。 「わかった、ちょっと先輩たちと話をしてくるよ。必ず返してもらうから安心して」 「ぶ、部長……! お願いします、ありがとうございます!」  可愛い後輩から羨望の眼差しを受けつつ望はドアノブに手をかける。それを力強く握ったのは歩だ。伝わってくる怒りの感情が焼けるような熱さで望の胸を覆う。 「望、行かせないよ。本当に話をするだけで終わると思ってるの?」 「後輩の前で不穏なこと言わないでほしいな。俺に遠慮して自分一人で抱え込むようになったらどうしてくれるんだよ」  目線を流し、オドオドする後輩に微笑みかける。大丈夫だよと一言付け加えて。 「ごめんね、俺の弟は心配性なんだよ。気にしなくていいからね、本当に話をするだけだから。きっと先輩たちのちょっとした悪ふざけだよ」  そう言ってやると後輩は安心したように胸を撫で下ろすが、歩はまだ顔をしかめている。余計なことを言われる前にその冷たい手を握った。これ以上何も言うなと念じれば、もっと他に方法はあると返ってくるけれど、望は頑として譲らない。心の中で瞬時にやり取りした結果、歩は渋々手を離した。 「じゃ、行ってくるね」  望はにこやかに手を振って二人に背を向ける。確かに他に方法はあるのかもしれない。普段の望なら悪知恵の一つや二つ働かせて解決することくらいできるはず。けれど今はどうにも頭が働かない。これも一種の自傷なのだろうか、栄養不足な脳と体はちっとも役に立たない。  三年生のフロアへたどり着くまでは、まるで絞首台の十三階段を上っているような気分だった。これから何をされるのか、今までの経験から容易に想像がつく。それでもあえて足を踏み入れるのは、この仕打ちも粛々と受け止めるべきだと考えているから。  自傷というよりは自罰なのかもしれない。秀虎を傷付けた罪に対する贖罪。そう考えるといくらか自分の中で納得できたし覚悟もできた。所詮は自己満足かもしれないけれど、これで望に残るモヤモヤした感情に終止符を打てるならそれも良い。一方的に傷付けた秀虎もそろそろ望を忘れて他へ目を向ける頃だろう、何も問題は無い。  ぼんやり鈍くなった頭で思考し、めちゃくちゃな理論でむりやり完結させた頃には、望は既に例の三年生の部屋の前にいた。夏休みも終盤に差し掛かったとはいえ、まだ帰省中の生徒も少なくない。普段は必ず数人はウロウロしている廊下も今は寂しいものだ。  けれども目の前のドアの向こうからは人の気配がする。会話の内容までは聞き取れないが、どれも聞いたことのある声ばかり。望は瞼を下ろし、ゆっくり深呼吸してから閉ざされた白塗りのドアを静かに叩く。 「こんにちはー、望でーす。言われた通り一人で来ましたよー」 「おぉ望、久しぶりだなぁ。なんか痩せたか? まぁいいや。それより最近付き合い悪いじゃねぇか、いくら誘ってもつれねぇ態度ばっかしやがるから退屈してたんだぜぇ?」  出迎えた三年生は望よりもずっと体の大きな男だった。彼は去年の冬に望を抱いた最後の相手で、それ以降もしつこく体の関係を迫っては風紀委員に注意を受けている。今回こうして望をおびき寄せたのは、風紀委員が揃っていない夏休み中がチャンスだと思ったからだろう。望が大切にしている新聞部の後輩を利用した事から、随分前から望の周辺を観察し計画していたと思われる。 「んだよ望、シケたツラしやがって。まぁここで立ち話もなんだし、早く部屋に入れよ」  乱雑に望の腕を掴む大きな手。脇から見える数名の仲間は部屋でくつろぎながらこちらをニヤニヤ見ている。何度も目にしてきた光景の筈なのに、彼らを見た瞬間に望の体が石のように固くなった。 「え……と、その……」  怖い──恐怖に怯えた感情を表す最もシンプルな言葉が頭に浮かんだ。これくらいの事は慣れているのに、とっくに覚悟を決めたのに、体も心も言うことをきかない。目線を彷徨わせて力の入らない足でなんとか踏ん張る。強めに引っ張られた腕がクンッと突っ張って、三年生は怪訝な顔をした。 「なんだよお前、珍しく怖気付いてんのか? あ、そういうプレイ?」 「違……あの、おれ……やっぱり、その、体調が……悪くて……」 「は? ここまで来といて何言ってんだ。勿体ぶってねぇで早く来いよ! 今更純情ぶってんじゃねぇ、望のくせに!」 「いっ……やだ!」  強引に部屋へ引きずり込まれそうになり、思わず大きな声で拒絶して上級生の腕を数回叩いてしまった。  とはいえ非力な望がいくら叩いたところで大して痛くはなかっただろう。しかし、ただでさえ苛ついていた様子の上級生は望の反抗的な態度に心底腹が立ったらしく、額に青筋を浮かべながら望の左膝を容赦なく蹴り上げた。 「ひっ……あぁっ!!」  事故に遭って以来しばしば痛む部分だ。望は声にならない悲鳴をあげてその場に崩れ落ちる。少しやりすぎじゃないかと部屋の中から(さと)すような声が聞こえたが、目の前の上級生は躊躇する気配も無く望の髪を鷲掴みにした。 「いいんだよ、歩くんならまだしもコイツは望だぞ。なんの取り柄もねぇくせに調子乗りやがって。いっぺん痛い目見せて躾してやんのも年上の役目だろ」  そう吐き捨てた彼の冷ややかな目が望を見下ろす。その苦痛に歪めた左頬、他の皮膚とは明らかに違う色をしたそこに汗がつたう。髪を掴まれたことで普段隠している傷が露になっているからか、上級生は生ゴミでも見ているような不快そうな顔をした。 「いつ見てもきったねぇ傷。さっき蹴った膝にも傷あったよな、あと腹。どうせその傷だらけの汚ぇ体を相手してやれんのは俺らだけなんだからさ、素直に言うこと聞いとけよ、な?」  汚い、そう蔑まれても何も言い返せない。なにしろ望自信が一番そう思っているのだから。  体に傷をもち、心は醜く歪んでいる。その結果たくさんの人を利用し傷付けた。これを汚いと言わずなんと言うのか。  そうこうしているあいだに体がずるずる引き摺られていく。顔から血の気が失せていく。けれど黙って受け入れるしかない、決して愛されることのない心と体だ、どうなろうと知ったことではない。もう、どうでもいい。
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