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「小春なんか、実家に帰ってきても、お父さんと話したら十秒もたたずにケンカになるじゃない」  何も言い返せなかった。父はいつも偉そうに威張っていて、デリカシーがなく、触れられたくないことばかりずけずけと指摘してくる。それだけじゃない。世の中を見下し、自分以外の他人を軽蔑し、偏狭で融通がきかず、何もしない。テレビを見ていても文句ばかり言っている。一緒にいて楽しいと思ったことがない。 「あの人が退職してから、ずっと家にいるのよ。わたしはもう気が狂いそうなの。あんたは数か月に一度帰ってきて十秒でしょう? わたしは毎日二十四時間一緒にいるのよ。しかも死ぬまでそれが続くのよ」  夫婦なんだから、いろいろあるだろうけど、そこはふたり助けあって……なんて一般論でおさまるような問題ではなさそうだった。 「あと二十年? 冗談じゃない。二十年我慢するくらいなら、お母さんさっさとあの世に行って、お父さんあんたたちに押し付けちゃうから」 「それは困る。無理」  思わず言ってしまって、いや、違う、と小春はふたたび体勢を整える。違う違う。論点はそこではない。父の介護じゃなくて、夫婦仲良くしてもらいたいのだ。母が父に不満を抱いていることは知っていた。でもなぜか、離婚を考えているなんて思ったこともなかった。熟年離婚なんて言葉を聞いても、本当にそんなことがあるのかなあ……とピンとこなかったくらいだ。 「で、あんた、何か話あったんじゃないの?」  と、母が言った。 「いや、別に、大したことじゃないの。お母さん最近どうしてるかなと思って」  小春は慌てて答えた。こんな状態で、言えるわけがなかった。自分も離婚の相談をしようとしていたなんて。  母と別れた小春はすぐに兄の一人暮らしの部屋を訪ねた。今思えば、自分はよっぽど動揺していたのだ。そうでなければ、一番に兄に相談に行ったりはしない。兄は、おそらく、この問題の相談相手としては世界で一番ふさわしくない。  案の定、兄の第一声は、「別にいいんじゃない?」だった。 「父さんは知ってるの?」 「知らないと思う」  インターネットを使って、一生懸命海外旅行のツアーを調べていた父を思い出す。 ――退職したら奥さんを旅行にでも連れてってあげてくださいって若い子に言われてさ。まあそのくらいはしてやってもいいかなと思ったんだ。
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