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外はまるで戦場だ。向かい風のせいで、正面から無数の槍のように飛んでくる雨の中、必死で傘を盾にして前に進んでいると。
一瞬吹きつけた強い風に煽られて、わたしのビニール傘は簡単に裏返った。傘にまつわるいちばん恥ずかしい現象だ。
すぐに直そうと片手を離したら、また、とびきりの強風。
「あっ!」
今度は傘が手からすっぽり抜けて、後方へ飛んでいってしまった。最悪だ。
後ろに飛んだ傘は、わたしのかなり後ろを歩いていた人の前方にふわりと着地した。慌てて駆け寄って拾おうとすると、その人が先に屈んで、わたしの傘に手を伸ばす。
「あ、すいません。それわたしの傘で、風で飛ん」
「びしょびしょ。入れば?」
言いかけた言葉を遮ったのは、淡々とした低い声。ゆったりとしたグレーのスエットに身を包むその男の人は、上体を起こして頭上に自分の傘をかざしてくれた。
「ありがとうございます」
無事に傘を拾い上げ、彼の顔を見上げて。
目が合った瞬間──。心臓が、どくんっ、と大きく跳ね上がった。
柔らかそうな長めの前髪の隙間から、開ききらない瞳がこちらを見下ろしている。
ともすれば眠たそうとも取れるそのけだるげな目は、なんだかとても色気があって……。まるでこの嵐みたいに、胸が激しくざわつく。
どうしても目を反らせなくて、無言で見つめていると、彼は居心地悪そうに視線を少し泳がせた。
「……なに見てんの」
「……好き」
恋って、本当に突然落ちるものなんだ……。激しい雨と風の音を聞きながら、そんなことをぼんやりと思った。
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