(1) 妻の怜子との結婚記念日

1/19
前へ
/134ページ
次へ

(1) 妻の怜子との結婚記念日

 20畳ほどの大広間の障子戸を開けると、手入れのされた枯山水があって、庭の白壁の向こう側に、高層マンションが2棟、にょっと突っ立っている。 今朝から急に降り始めた雨が、酷くなってきて、障子戸を閉めようかと考えていたところだ。 湿ったというより、微細な雨粒の混じった空気が部屋の隅にまで広がっていた。 その微細な水滴が、皮膚の穴から吸い込まれていく。 僕は、何も模様のない白い屏風を前に座っている。 右脇には、たっぷりの墨と、如何にも恰幅の良い坊さんが一気呵成に禅語でも書きそうな太い筆が用意されている。 僕は、いつ知り合ったのか心当たりのない住職に、屏風に適当に字でも書いてくれと頼まれたのである。 知らない住職なのに、僕は何の遠慮する気持ちも起きない。 それにしても、紙に書いたものを表装するのが普通だろう。 それをいきなり、真っさらな屏風に書いてくれとは、困ったことを頼まれたものである。 住職は、僕の左横に座って僕を見ている。 「屏風なんてものは、こうエイヤッと、字の形なんぞを考えずに書くのがコツなんですってね。」そう言いながら、ニヤニヤと僕の様子を窺っている。 30分も屏風を前に考えていただろうか。     
/134ページ

最初のコメントを投稿しよう!

47人が本棚に入れています
本棚に追加