わすれなの

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 それから僕は、一度もスズ姉に会っていない。  市内の高校を卒業するや地元を離れ、東京の大学に進学、次の式年祭を迎えなかったのだ。  彼女のいない世界は彩りを欠くばかりでも、スズ姉に対する慕わしい気持ちがいや増すほどに、浮かぶのは彼女を忘れてしまった小父さん、小母さんの笑顔だった。  我が子がいたことすら忘れてしまうこと、ある日不意にその子いなくなってしまうこと、どちらもきっと同じだけ深い、悲しみの淵だ。  僕の家族だけでなく、彼らが仮初にも僕を息子のように感じてくれているのなら、その悲しみを生み出さないことだけが、ひとりスズ姉を覚えている僕にできる、唯一の親孝行だった。  そしてそれこそが、彼女の最期の願いでもあった。  あの森にのまれるような深い山の町で、たとえ誰ひとりスズ姉を覚えていなくも、僕だけはきっと忘れない。  桐の小箱には、たった5葉の短い手紙。  彼女がいたことを証す唯一の、1年に1度きりの逢瀬を待ち合わせるだけの便り。  そこに差出人が記されていないのも、毎度律儀に同じ文面なのも、忘れないで、覚えていてという、彼女の心だと思うから。
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