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「……わたしが、分からないの?わたしが誰だか分からないの…!?」
少女は悲痛な表情を浮かべ声を荒げる。
それに紘は、激しく首を振って返した。
少女は俯く。
「……わたしは……忘れなかった。紘のことを、一度も……なのに紘は、わたしのこと忘れちゃったんだね…」
握られた包丁の切先から赤い滴が滑り落ちる。
ごくり、と音が漏れる程に大粒の唾を飲み込み、暫くの間、静かに少女を見守った。
血で濡れた包丁。
返り血を浴びた制服。
無気質な瞳。
迫り来る甘い声。
客観的にも主観的にも、彼女は相当危険な人物だと判断されるだろう。
しかし、紘にとっては違和感というか、矛盾というか、そんな漠然とした何かを少女の姿から感じ取っていた。
恐怖はある。
確かに、恐れてはいる。
だが、彼女からは自分に対しての殺意が見えなかった。
不意に、少女が顔を上げる。
その表情は、不思議と無邪気ささえ感じる笑顔だった。
「いいよ、紘。許してあげる」
突然の少女の言葉に、紘は戸惑いただ少女から視線を外せないまま押し黙る。
少女は無垢な笑みを浮かべたまま続けた。
「そんな気はしてたんだぁ。紘は、もしかしたらわたしのことなんて忘れてるんじゃないかって。当たっちゃったね。ショックだけど、怒ってなんかないよ」
言葉を紡ぎながら少女は空を仰ぐ。
「別にいいの。忘れられてても。わたしは覚えてるから。それに、やっと紘に会えたんだから」
少女は再び紘に視線を戻すと、にっこりと微笑みかけた。
状況が全く理解出来ない三人は、ただ少女の不可思議な言動に見入るだけで、逃亡意志は有れど体は金縛りにあったように自由に動作しない状態に陥っている。
そんな中、漸く怖ず怖ずと良太が少女に質問をぶつけた。
「あ、あんた…紘の…知り合いなのか?だったら、まずその手に持ってるものを置いて、その赤い……の……説明を…」
「────うるさい」
少女の低く、凄みの強い声が対照的な良太の声を遮断する。
その場が、しん、と静まり返った。
少女は無表情に良太を見つめ、一歩ずつ詰め寄っていく。
「今、わたしは紘と話してるの。邪魔しないでッ!!」
声を荒げるのと同時に、少女は握られた包丁を良太の首元目掛けて振り下ろした。
少女の狙い通り、刃は頸動脈を切り裂き、ブッと噴霧状の赤が吹き出す。
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