本編

9/30
前へ
/30ページ
次へ
ピン、と張り詰めた空気。 紘以外には分からない。 音が、止んだのだ。 それもすぐ近くで。 心臓が激しく脈打ち、鼓動が全身に伝わっていく。 冷や汗が噴き出し、歯がカチカチと音を立てる。 やばい。 よく分からないが、とにかくやばい。 そう何かが告げていた。 早く逃げなければ。 この場から、今すぐに! 紘は震える両手で良太と健介の腕をつかむ。 「…早く……逃げよう…っ!」 「誰から?」 コツ。 背後で、音がした。 良太と健介の驚愕した視線が、紘の背後にいる声の主に注がれる。 紘はゆっくりと、振り返った。 「会いたかったよ……紘」 そこにいたのは、同年代の黒髪の少女。 制服は他校の物らしく、南本高等学校のとは違っている。 少女はうっとりした表情で紘を真っ直ぐ捉え、甘い声でそう告げた。 紘はその少女の姿に、戦慄する。 姿形がどうと言うわけではない。 ただ、少女の右手に握られた物───濃い赤がべっとりと付着した包丁と、彼女の制服に点々と飛んでいる赤い滴に驚愕したのだ。 それは間違いなく、何かの血。 少女はまた一歩歩み寄る。 コツ。 「紘……紘……」 甘い声が紘の名を呼ぶ。 コツ、コツ、コツ。 紘は近付く恐怖の塊に耐えきれず、声を上げた。 「───っと、とまれぇ!!」 その瞬間、少女はピタリと静止した。 無気質な表情で、紘を見つめる。 紘も良太も健介も、皆頭の中で巡ることは同じであった。 なんだコイツ…。なんで包丁なんか持ってるんだよ、なんで血がついてるんだよ! まさか…人殺し……!? 少女は固まったまま動かない。 健介はガタガタと震えだし、一歩後ずさる。 「…な、なんだお前は…。なんで包丁なんかもってる…」 紘は自分でも情けないと思いつつ、上擦った声で問い掛けた。 少女は小首を傾げる。 考えろ……思い出せ。 さっきコイツは俺の名を呼んだ。何度も呼び掛けた。 知ってるんだ、俺のことを。 思い出せ…誰なんだ、コイツ…!
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加