縁の管理人 第3章

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「ここから先はご静粛に願います」  そう案内された広間は日の光が射さず、薄暗い。ほのかな燭台の明かりのみに照らされたそこは荘厳な空気に包まれており、一歩足を踏み入れただけでこの異様な雰囲気に飲まれてしまいそうだ。  部屋の中心には、白い装束に身を包んだ人物がいた。白を基調とした衣で、襟、袖、裾には深い紺色と緑色を中心に、色鮮やかで細かな刺繍が入っている。何より特徴的なのは、頭に被った半透明の垂衣(たれぎぬ)だ。垂衣で遮られていてはっきりとはわからないが、これまでの話の流れから推測するに、おそらくはあの人物が佳苗なのだろう。霊媒師の正装らしき姿の彼女は精神統一をしているのか、こちらのことなど目に入っていないようだ。 「よ、よろしくお願いします……」  連とともにお弟子さんらしき人たちと壁沿いに並んで腰をかけると、私たちが入ってきたのとは別の扉から二人の人物が姿を現した。三十台前後の男女二人組だ。私たちと同じように白衣を身につけているものの、その挙動には落ち着きがない。キョロキョロと目を泳がせ、辺りを見渡している。この場には慣れていなさそうな様子を見ると、どうやら彼らが依頼人らしい。そして彼らが入ってきた扉がきっと正面扉であり、依頼人専用の出入口のようだ。 「時刻となりました。只今より霊媒の儀を執り行います」  彼らが部屋の中央、佳苗の正面に腰をかけると、佳苗のお母様が進行しはじめた。場を取り仕切るのはお母様の役目らしい。 「……始めます」  普段の快活な印象はなりを潜め、佳苗は小さな声で呟いた。両の手を合わせると、言霊のような何かを口にしながら、祈りを捧げている。その静かな佇まいから、徐々に彼女の気配が小さくなり始め、逆に彼女の体内に霊力が高まっていくのが感じられた。そのまま見守ること数秒、祈りが終わったかと思えば、彼女の身体が大きく前方に傾いた。 「かなっ……!」  依頼人含め彼女を見守っていた私たちは、倒れそうな彼女の様子にただ事ではないと思わず声を上げた。隣では連が彼女のもとへ駆け付けようと片膝を立てている。それを止めたのは、佳苗のお母様だった。 「静粛に。降霊術は、無事成功しました」  その言葉に佳苗へと目を向ければ、彼女は前に倒した身体をゆっくりと起こしているところであった。起き上げた背は丸く、けだるそうなその様子に若々しさはない。年齢を感じさせる佇まいは、先程までの彼女と雰囲気が大きく異なる。これではまるで別人だ。 (これが、霊媒の儀……)  見た目は確かに佳苗なのに、そこにいるのは佳苗ではない。中身が違う。別の誰かが彼女の身体に入っている。そう直感できた。これがきっと、垣石家の持つ力――霊媒術なのだ。 「……これ、は」  絞り出すような掠れた声の出し方も、佳苗の喋り方とは違う。〝彼女〟は、ぼんやりとした様子で辺りを見渡し、両手を握り開きを繰り返す。この場の状況や身体が動きかどうかを確かめているようだ。誰も声を発さない緊迫した空気の中、ついに〝彼女〟の目は前方の彼らの姿を捕らえた。 「あ……、あの……」  こちらも搾り出すような声。男性は恐る恐る〝彼女〟に声をかけた。すると〝彼女〟はハッと息を飲み、彼の名前を呼ぶ。 「……かず、と?」 「母さん……なの、か……?」 「ああ……、あぁ和斗(かずと)、私の声が聞こえるの?」 「聞こえるよ……。なぁ、本当に、母さんなのか……?」 「えぇ、えぇえぇ、そうよ。和斗。母さんですよ。和斗、お前の母さんです」  死別した息子との再会に感激しているのか、〝彼女〟の声は震えている。まだ信じられない様子の彼に答えながら、〝彼女〟は組んだ両手の指をもじもじと動かした。そんな〝彼女〟の仕種を見た彼もまた、先程の〝彼女〟と同じように息を飲んだ。 「あぁ、その癖は母さんの……。本当に、母さんなんだね。ずっと、ずっと……会いたかった……」 「和斗……、まったく、いい歳して母に会えたくらい泣く人がいますか」 「仕方、ないだろっ……うぅっ……」 「和斗さん……」 「もう……、我が子というのはいくつになっても子どもだねぇ」  男性――和斗さんは〝彼女〟が本当に自分の母親なのだと信じたようだ。人目もはばからず、ポロポロと大粒の涙を零している。彼を労るように、隣の女性が背中をさすりながら彼にハンカチを手渡す。そんな彼らを慈しむように、〝彼女〟は優しく笑みを零した。 「さぁ、いつまでもメソメソ泣いてないで。……母さんに話があるんだろう?」 「あ……、あぁ……。……母さん、俺さ、結婚しようと思っているんだ」 「眞由美です。お母様、初めまして。和斗さんとは職場でお会いしまして……」  〝彼女〟に促され、二人は改めて本来の目的である結婚の挨拶を始めた。女性――眞由美さんは臆することなく自己紹介をし、和斗さんもまた真剣な表情で眞由美さんのこと、これまでの二人の道のりについて説明している。 「必ず二人で幸せになる。だから、母さん。……眞由美との結婚を認めてください」 「よろしく、お願いします! どうか、和斗さんとの結婚をお許しください!」  二人が深々と頭を下げると、〝彼女〟は再び優しく微笑んだようだった。 「えぇ、もちろん。眞由美さん、どうぞ和斗のことをよろしくお願いします」 「えっ……。い、いいのか、母さん」 「そんなあっさり……。本当によろしいんですか? まだ私のことはほとんどお伝えできていませんが……」  〝彼女〟のあまりの即答に、眞由美さんも和斗さんも動揺しているようだ。彼らからすれば、まだ二人のこれまでについて彼らの口から説明しただけ。即断できるだけの材料があるとは思えないのだ。けれど、そんな彼らの不安げな態度に対して、〝彼女〟は変わらず柔らかく笑みを零す。 「認めるも何も、私はもう死んでいるんだから。二人の好きにしたらいいの」 「ですが……」 「まぁ……そうね。それを抜きにしても、私は心から貴女たちの結婚を認める。……私は少し過保護なところがあってね。この世を去った後も、この子のことが心配で……。俗な言い方をすると、今までずっと空から見守ってきたの。直接お会いするのは今が初めてだけど、貴女たちのことはよく知っているのよ」 「え……?」  〝彼女〟はこれまでのことを思い出すように、遠くを見つめるように顔を上げた。 「貴女たちが二人でいるときは、いつも二人とも笑顔が絶えなかったわね。喧嘩をしたときには、お互い納得がいくまで話し合って仲直りをして、どちらかが病気のときには、優しく看病していた。……どんな時でも、貴女たち二人は確かにお互いを想い合い支え合っているのだと、見ていてとても安心できましたよ」  死後もなお変わらず息子を想い、見守ってきたという〝彼女〟。その柔らかな声音は、二人を心から慈しんでいるようだ。 「眞由美さん。この子は今みたいに感極まるとすぐ泣いてしまうような子ですが、芯は強く優しい子です。楽しいことも、苦労することもたくさんあるでしょう。ですが何があっても、きっと貴女を大切にしてくれます。こうして死した母にまで紹介しようとする子なのですから」 「母さん……」 「お母様……」 「だからどうか、これからも二人手を取り合って、幸せに〝生きて〟いきなさい」  死者の口から告げられる、〝生きて〟ほしいという言葉は、きっと誰に言われるよりも彼らの心に届いたことだろう。挨拶の間ずっと堪えていたであろう涙が、彼らの瞳から再び零れ落ちる。そして〝彼女〟はやはり、それを見て笑うのだった。
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