縁の管理人 第3章

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「……すごい場面に出くわしたな」  彼らの挨拶も落ち着いた頃、私と共に隣で一部始終を見届けていた連がこっそりと声をかけてきた。 「……っ、うん……」 「って、おい。なんでお前まで泣いてんだよ」 「うっ……、だ、だって……」  対する私はというと、彼らと同じようにまともに言葉も発せられない程に涙を零してしまっていた。きっと生前、和斗さんとお母様はとても仲の良い親子だったのだろう。死して尚、和斗さんを心配し見守り続けたお母様。そんなお母様を安心させてあげたい一心で、お母様への結婚の挨拶を願った和斗さんと眞由美さん。そんな彼らの再会を、涙なしには見守ることなんて出来なかった。 (私もお母さんとは離れて暮らしてる。でもそれは、会おうと思えばいつでも会える距離で、……彼らとは違う)  死別した彼らは、本来二度と会うことは出来ない。眞由美さんに至っては一度だって出会うことはなかったはずだ。決定的な別離。それが、死。 (なんて……、なんて優しい儀式なんだろう……)  本来叶うはずのない、死した母との再会。それが今目の前で実現したのだ。息子が望み、その恋人が願い、母が聞き届け――彼らの祈りを叶える術を持つ佳苗が応えた。これを奇跡と呼ばずして何と言う。あまりに優しく美しい光景に、私はただ咽び泣くことしか出来なかった。 「結衣さん。……これを」 「あ……、すみません。ありがとうございます」  いつの間にか私の傍に現れた佳苗のお母様が、そっと手ぬぐいを差し出してくれた。それをありがたく受け取ると涙で濡れた頬を拭い、呼吸を整えると佳苗のお母様に向き直った。 「佳苗のお母様……、今日は見学を許してくださってありがとうございました」 「いいえ。結衣さんのおうちには、かねてからお世話になっていますから。少しはお役に立てましたか」 「はい、とても」  今日ここに来られてよかった。こんなにも優しく温かな世界を見ることが出来たのだから。そして、この奇跡を実現したのが同世代の女の子であるという事実が、私の背中を押してくれる。同世代に同じように頑張っている友達がいる――それが、どれほどの力になることか。 「私も、佳苗のようになりたいです。依頼者の心からの望みを叶えてあげられるだけの、優しく強い術者に」 「フフッ、娘を褒めてくれてありがとう。結衣さんならきっとなれますよ。彼らの姿を見て、こんなにも綺麗な涙を流せるくらい、貴女は心根の美しい人なのですから」 「あ……ありがとう、ございます」  そう言って頭を撫でてくれる佳苗のお母様。その手はとても暖かく、優しいものだった。 「さて……、名残惜しいけど、そろそろお別れだね」  涙がすっかり乾いた頃、〝彼女〟がそう切り出した。如何に霊媒術が素晴らしい力を持っているにしても、霊媒できる時間にも限度と言うものがある。つまり、彼らは再び今生の別れを迎えるのだ。 「もう、行っちまうのか?」 「私、もっとお母様とお話していたいです」 「そうはいってもね、この体は借り物だから。こうして二人に会って話をするなんて、とんでもない願いを叶えてもらえたんだ。いつまでも我儘言えないよ」 「……そう、だな。これ以上は、望んじゃいけないな。これまでありがとう、母さん。会えてよかった」 「私もお会いできて本当に嬉しかったです。ありがとうございました」 「こちらこそ、呼んでくれてありがとう。和斗、眞由美さん……、二人で幸せになるんだよ」 「お母さん……」 「……っ、母さん……!」  〝彼女〟は両手を開き二人を抱き締めるように、けれど届かない程度に少しだけ手を伸ばした。再びの別れに感極まった和斗さんは、その手を取ろうと前のめりになり―― 「いけない!」 「――っ!?」  その瞬間、佳苗のお母様が叫び彼らのもとへ駆けた。〝彼女〟と彼らが手を繋ぐのを阻むように間に入る。が、お母様が到達したときには、既に彼らの手は繋がっていた。 「ガッ……、あっ……!?」  お母様が間に入ることで繋がっていた手は引き剥がされたものの、和斗さんは手を伸ばしたままもう片方の手で苦しそうに自分の胸を抑えている。 「なんだ……!?」 「何が起きたの!?」 「お二人とも、動かないでください」  思わず立ち上がろうと腰を浮かせると、すかさず共に並んでいたお弟子さんらしき方々に止められた。先へ行かせないように正面に回り込まれ、手で制される。 「大丈夫です。直に収まりますから」 「収まるって、彼らは……?」 「か、和斗さん!」 「触れてはなりません!」  お弟子さんの影から和斗さんたちを見れば、苦しそうにもがく和斗さんの体を、眞由美さんが支えようと手を伸ばしているところだった。しかし、それは佳苗のお母様によって女性の体を抱き留める形で遮られる。 「お、教えてください! 和斗さんは一体どうしたんですか!?」 「彼は今、お母様よって冥界に引きずり込まれようとしているのです」 「め、冥界……!? お母様によって……ということは、和斗さんは今お母様に殺されそうになっているということなんですか!?」 「えっ……!?」  なぜ、そんなことになる。ほんのつい先程まで、あれほど仲睦まじく語り合っていたではないか。それがどうして〝お母様に和斗さんが殺される〟ことになるのか。必死で頭を巡らせていると、不意にある言葉が脳裏によぎった。  ――霊媒中には必ず指示に従うこと。特に、術者の体には絶対に触れてはならない  この儀式に案内される前、佳苗のお母様から依頼の条件に付いて説明を受けた。その中に確かにあった。〝絶対に術者に触れてはならない〟と。 「もしかして……」 「そうです。”儀式の最中、決して術者の体に触れてはならない”。それはこの事態を防ぐためにあるのです」  お弟子曰く、この条件の理由は〝霊媒師の体から霊が抜け出る際、触れた者の魂を共に連れて冥界に戻ってしまう――事実上、殺害してしまう〟ことにあるという。大切な人と生き別れた霊は、常に心に孤独を抱えている。そのため一人で常世へ向かう寂しさから、無理矢理引きずり込んでしまうのだ。霊も理性ではそれを理解していても、いざその機会を得てしまうと本能的に連れ出そうとしてしまう――抗うことの出来ない力が働くのだという。  術を行っている霊媒師自身の意識は体の奥深くに眠り、霊媒中は無防備な状態になってしまう。そのため、仮に霊が悪行を働こうとしても止める術を持たず、今回のように霊が望まない行動を本能的に取ろうとした場合も、妨げることが出来ないのだ。  こうした事態を防ぐための条件。それが、術者の体に触れてはならない、ということなのだ。 「うっ……ぐうぅっ!!」 「あっ、あぁあっ……、和斗、和斗……! こんな、はずじゃ……!」 「和斗さん!」 「眞由美さん、落ち着いてください。大丈夫ですから」  悶え苦しむ和斗さん、泣き叫ぶ眞由美さん、眞由美さんを止める佳苗のお母様、困惑する和斗さんのお母様。地獄絵図と化した空間に、お弟子さん方に止められた私もまた、どうすることも出来ずただ見守っていると、――不意に黒いものが視界の端に映った。 「え……?」 「お前……」  どうしてここに。いるはずのないその人の出現に、連と私は思わず声を漏らす。けれどその人は私たちに一瞥もくれず、彼らのもとへと駆け、手に持った二本の短刀を振り上げた。 「……二の型、解術(げじゅつ)」  交差させるように大きく振られた短刀は、振り上げたと同時に虚空へと消えた。その直後、和斗さんの体がゆっくりと横倒しになり、和斗さんのお母様もまた彼に向かって手を伸ばしながら、でも決して触れられない距離を保ちつつゆっくりと体を倒した。 「和、斗……」 「和斗さん!!」 「……、ん……?」  佳苗のお母様から解放された眞由美さんは、一目散に和斗さんに駆け寄った。懸命に彼の体を揺すると、彼はゆっくりと瞼を開き、覚醒した。どうやら彼は無事らしい。 「……っ、待って!」 「あっ、おい! ……っ、足、痺れた……っ」  事態が落ち着いたと判断したのか、私たちもまたお弟子さんから解放され、私はそのまま出ていこうとする〝その人〟の後を追いかけた。 「二ツ羽くん!」  広間を出た廊下に出た時、私はその人――二ツ羽くんの名を呼んだ。無視されるかと思いきや、私の呼びかけに彼は足を止めゆっくりと振り返った。黒い装束に身を包んだその人は、やはり間違いなく二ツ羽玲くんだった。 「どうして、君がここに……?」  縁切り神社の家元である彼が、なぜ佳苗の家にいるのか。今一体何をしたのか。聞きたいことは山ほどある。 「……仕事だからな」 「仕事、って……。これも縁切りの仕事なの? もしかして……!」  思い出されるのは先日の早崎美央様の依頼の時のことだ。あの日彼は、彼女と彼女の母との縁を断ち切り、彼らの記憶を奪った。あの時はそれが最も望ましい選択だったといえるが、まさか今もまた前と同じように彼らの縁を切ったのだとしたら。死に別れるまでの彼らの思い出まで、消されてしまったのではないか。 「違う」  そう血の気が引いたのも束の間、二ツ羽くんは私の心配を一蹴した。 「……本業以外にも、俺は他にもいくつか副業をしている。今日はその中の一つ、解術の手伝いをしただけだ」 「解術の、手伝い?」 「……知っての通り、霊媒は霊に体を預ける行為だ。霊媒師自身が無防備になる以上、トラブルが起きることも多い。だから必ず、万が一の事態が起きた時に強制的に降霊術を解除できる者が必ず立ち会うことになっている。だがこの家は霊媒師が多いからな……、同じ時間、複数の場所で儀式を行っている場合があるんだが、解術が出来る人間には限りがある。そんな人手が足りないときに、こうして俺が手を貸しているんだ」 「はー……、なるほど。それが二ツ羽くんの副業の一つなんだ。じゃあ、今も縁切りをしたわけじゃなくて、あくまで解術をしただけだから記憶や思い出を消したわけでは、ないんだよね?」 「……あぁ、そうだ」 「そっか。そう……よかった」  二ツ羽くんが行ったのは降霊術を強制的に解除するだけ。彼らの記憶には何の影響もないのだという。もしあの仲の良い親子の記憶がなくなるのだとしたら。死別した母を安心させたいという優しい想いが消えるのだとしたら。考えるだけで恐ろしい。彼らの関係が今後も変わらないのだという事実に、ほっと胸を撫でおろした。 「……術が解けた反動で一時的に意識を失っているが、垣石もそろそろ目を覚ましただろう」 「あっ、そうなんだ。何も言わずに出てきちゃったし、戻らなきゃ。……あ、ねぇ、二ツ羽くん!」 「……なんだ。まだ何かあるのか」  用は済んだとばかりに背を向ける二ツ羽くんを再び呼び止める。億劫そうな顔で振り返った彼に臆しそうになるが、これだけは言わなければとキュッと唇を噛んだ。 「和斗さんたちを助けてくれてありがとう。それから、前の……、早崎様たちの縁を切ってくれてありがとう」 「……俺は俺の仕事をしただけだ。お前に礼を言われる筋合いはない」  二ツ羽くんが駆け付けなければ彼らはまた悲しい想いをすることになっていただろう。そして、ずっと礼を言いそびれていた、以前の虐待されていた娘様とその母の縁についても、二ツ羽くんが切ってくれなければどうなっていたかわからない。最悪の事態を防いでくれた二ツ羽くんには感謝の意を伝えたい。――そう思ったのだが、彼は表情一つ変えることなく即座に一蹴した。 「まぁ、確かにそうなんだけど……。……でも、ありがとう!」  私は依頼人の身内でも、垣石家の人間でもない。けれど同じ場に居合わせた者として、あの奇跡を目の当たりにして感動した者として、どうしてもお礼を言いたかったのだ。それでも二ツ羽くんは表情を変えないままだけれど、それでもいい。感謝しているのは事実なのだから。 「…………」  今度こそ用は済んだと二ツ羽くんは背を向けた。その背に向かってもう一度声をかける。 「ねぇ、二ツ羽くん! また今度話を聞かせて! 縁切りについても、二ツ羽くん自身についても!」 「…………」  返事はない。足を止めることもない。けれどひとまずずっと伝えたかったことは言うことが出来た。それだけで一つ進歩だ。 「あー、ようやく痺れ治った。玲もう行っちまったか?」 「あ、うん。今行ったところ」  私たちの話が済んだ頃になって連がやってきた。慣れない正座に足が痺れてしまっていたらしい。痛そうに足を擦る仕草に思わず笑いが零れた。 「お、まだ近くにいんじゃん。俺ちょっと話があるから行ってくるわ」 「え? あ、うん。いってらっしゃい……。あ、そうだ、連!」 「ん? なんだ?」  今にも走りしそうな連を引き留めると、連は一歩進んだままの姿勢で立ち止まって振り返ってくれた。 「私ね、佳苗みたいになれるように頑張るよ。今日は一緒に来てくれてありがとう!」 「……おう! その意気だ! じゃあまた後でな」  連はグッと親指を立ててニカッと楽しそうに笑うと、元気よく二ツ羽くんを追いかけて行った。
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