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「言霊には力が宿っている」
蛍光灯の類が一つもない、薄暗い部屋だった。光となるのは、頼りなく揺れる一本の蝋燭だけ。その光の奥で言葉を紡ぐ柔らかそうな少女の唇を、少年は食い入るように見つめていた。
和装の、美しい少女だった。まっすぐに肩先まで下ろされた深い藍色の髪が、どこからともなく入り込んだ夜風に揺れる。初めて彼女に逢った時、その色がきれいだと見惚れたことを何故か思い出した。
「きみが発する言葉も同じだ。誰かを傷つけることもできるし、癒すこともできる」
数ヶ月前、少年は初めて彼女と出逢った。祖父に伴われ訪れたここで、少女の住まう離れに迷い込んだのだ。敷居を跨いだのは、一度目は偶然で二度目の今日は、少年の執念だった。人形のような美しい少女と、時の止まった厳粛な離れ。まるでそこは異世界で、彼女は人間でないように思えた。
そして、自分はそれを望んでいたのかもしれない、彼女に。
「じゃあ、じゃあ。俺がこのみは死んでいないって言い続けていたら、このみは死なないの? このみは帰ってくる?」
必死の問いかけに、少女はそっと目を伏せた。柔らかな声音が二人きりの空間に響く。
「そうだね。きみはずっと願っていたらいい。大丈夫、今は見つけられなくとも、きみが願い続ければ、言葉にし続けていれば、届くだろう。いつか、彼女のもとへ」
「このみの? このみを攫った神様のところ?」
まるで神隠しだ。大人が口にしていたのを少年は確かに聞いた。神隠し。神様に選ばれた子ども。その子どもが戻ることはもう二度とないと言う。
人間がどうやっても登れないような、高い、高い岩の上。そこで妹の小さな靴が見つかった。ヘリコプターから隊員が回収したそれを確認した両親は泣いていた。
気に入って履いていた黒色のスニーカー。一縷の望みを胸に、少年は手を伸ばす。そして、新たな絶望を知る。何も、視えない。何も。脳裏を駈けたのは真白な閃光で、それだけだった。
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