数える

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 ものを数えている間はそれ以外に何も考えられない。ひたすら数えるほかはない。数えていると、これが不思議と落ち着く。「数えて!」のない時間に、数えることについて考える。数えるってなんなんだろう。数えると、数えている間、数える対象のものは、増えているのか、減っているのか、数え終ったものは増えるし、残りの数は減るし、こんなもの、数えたところでいったい何になるのか、いったい何を、どうして数えろとこの声は言うのか分からない。でもその一方で、数えて! と言われた瞬間から私は数える機械になり、機械になっている間は気持ちが少しましになるのだ、それも本当に確かなことだ。何も考えなくて済むからだ。私は何も考えたくない。考えることよりも数えることの方が楽だ。声が聞こえる前までの自分がものを考えられていたことが信じられない。  加えてものを数えることは、私の生活にほかの影響も及ぼしている。いままで景色でしかなかった部分を声に命じられて数える。するとその後ずっと、その景色のその部分、そこだけがクリアに見えてくる。ちょうどそこだけピントがあっているように、逆にまわりの景色はぼやけているように。あそこに何が何個あるのか私はきちんと知っている。ものを数えるということは、ものを把握しているという気持ちにさせる。いままで数えることなしに目の前のものの何を見ていたのか、最近ではもう思い出せない。  毎晩寝る前に「数えて!」が聞こえる。私はそのたび羊を数える。不眠症は治った。眠れるようになった。しかし数える疲れは取れない。それでも羊を数えている。数えて眠る。朝になる。声に従ってものを数える。数えることで考えずに済む。夜になる。数えて眠る。朝になる。自分のやっていることがなんなのか、何も考えられない。もう何も考えられない。数える。数える。数える。     
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