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三
とは、いえ誤解なさらぬようお願いします。日野里子が才女であることは、否定のしようもございません。話の作り方も文才も相応にありました。
では、この狭山合掌という男は何者であったか。彼の人柄については、云々かんぬんと時幅を割いたところで、どうにもなりません。なので、端的に云ってしまうと、小説家崩れの放埓人というところでしょうか。何かの因果に縁ってなのか、小説家崩れと女流作家がくっついてしまったのです。
I君が書生として雇われた時点で、狭山は既に居たのです。
I君は先にも述べたように、容貌醜く、女性との縁は愚か、同姓でさえ距離を置いていたのです。
彼を一言で表すと厭世人。世捨て人。浮浪者。嗚呼、呼び方は違えぞ、事する意味合いは同義であります。
否、浮浪者というほど、ふらふらとはしていなかったか。しかし、まあ、定職にも就かずに、閉じ篭りの生活を続けていたのだから、ある意味では浮浪しているのかもしれません。
それはともかくとして、I君は本当に懸命に日野里子の世話を焼きました。家の掃除もやり、風呂も炊き、飯も作りました。
一月経ち、二月経ち、三月が経った頃でしょうか、I君の中に不満がまるで床澱のように溜まってきたのです。
彼が書生として雇って欲しかったひとつの理由は、自分も小説を書きたいという、欲求のもとでもありました。日野里子の下で勉強がしたい。是非、玄人の小説家の仕事が見て見たい。そんな気持ちだったのです。
しかし、やることといったら、まるで家政婦。当初は、それでもいいとさえ思っていました。が、I君も人間です。気持ちに変化が生じるのは当たり前です。
そして、もうひとつ、I君を悩ませていた出来事があったのです。それは、ひとつ屋根の下に住む日野里子と狭山合掌の肉体的欲悦の?を聞いてしまうことなのです。
あれ程に昼間は芍薬の花のような、至極可憐なお人が、世も更けた時分に、人間本来の姿になってしまうことです。これをこそが人間の本能なのか。打ち震える肢体は、狭山の上で暴れ、柔らかな白み肌は、彼の愛撫に蹂躙されるのです。唇を塞ぎ、狭山の手は日野里子の形のいい両の胸に覆いかぶさり、空いたもう一方の手は、下の茂みに伸ばされるのです。快楽の中で、日野里子は?を漏らし、身体をくねらせ、恍惚の笑みを浮かべます。
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