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赤銅色(しゃくどういろ)
ゆり子の胸の感触を感じながら肩に頬を押しつけると、
髪がさらさらと冷たい。
「森田くん、やめて。」
ゆり子はもがきながらも声をひそめる。
「あなたが好きです。」
座り込んだまま、後ろから抱きしめた腕の力を強め、髪に唇をつける。
「身代わりにもなれませんか。」
「お願い、やめて。」
すすり泣きが聞こえた。肩がかすかに震えている。
この女(ひと)は俺が怖いんだと思うと、体中の力が抜けた。
自分がこの上なく醜い、ゲスな獣に思えた。
涙があふれてきて、両手で顔を覆う。
逃げたければ逃げればいい。
呼びたければ警察でも、篠田でも、誰でも呼べばいい。
俺は思いを吐き出せたんだから。
本望…だ。
しんとしていた。
不意に両腕をつかまれ、それは俺の両手を顔から離した。
月光に照らされた椎名ゆり子の顔があった。目の端がかすかに色づいている。
ゆり子は俺の胸に頭をもたせかけ、俺の左腕を撫でる。
「森田君は、水泳やっていたのよね」
泣いた後の鼻声。愛らしい。
「最初見た時、赤銅色の子がいるって思った」
「しゃくどう?」
「うん。艶のある赤…日焼けした肌の色…」
ゆり子の手が二の腕を伝い、肩へのぼり、首すじを撫でる。
指先が冷たい、と思っていたら俺の顔を両手で挟み、唇にキスした。
俺はゆり子のするままにしていた。
翌朝、俺は高跳び用のマットの上で目が覚めた。
ゆり子はいなかった。
未明に父が危篤だと連絡が入り、帰ったと聞かされた。
暑いからってそんなところで寝るなよ、と篠田が言った。
ゆり子はサークルを止め、研究室にも来なくなった。
研究室の資料は揃え終わり、単位も足りていたんだろう。
院試は止めたという噂だった。
ゆり子に会うことは無かった。
一度、卒論の口頭試問の日に
学部の建物を出て行くゆり子の後姿を見た。
長い髪で、か細くて。
でも確かに、人ひとりの重みと温もりを持って
束の間俺の腕の中に彼女はいたのだ。
俺たちはマットの上であわただしく結ばれた。
何故あの晩、ゆり子が俺に許してくれたのか、未だに分からない。
でもあの時、これで終わるんだなと思った。
ゆり子も篠田の事を思い切れたのだろうか。
俺はサークルを止め、泳ぎ始めた。
窪田には、俺は就活だ、お前はいいなあと嫌みを言われた。
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