バゲット慕情

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 前日に仕込みをする場合は、生地の成形までをすませ、これを冷蔵庫で保管する。翌朝の作業は最終発酵と焼成だけなので、二時間ほどで、焼きたてのパンを店頭に並べることができる。  ただし、フランスパンのように、粉、パン酵母、水、塩という基本材料のみから作られるものは、夜をまたぐ長時間発酵が難しい。フランスパンは、当日に仕込みから始めるので、いつもの時間配分では午後にしか焼き上がらない。 「でも今回は、長時間発酵をやってみるのね」 「や、焼きたてを、差し上げたいので」 「張り切ってるわね。華ちゃんに男を見せるチャンスだものね」  園田の目が宙をさまよった。  工房のリーチイン式冷蔵庫に、真新しい紙が貼ってある。黒いペンで刻まれた文字は、園田の手だ。機械を使ってレシピをコピーするのではなく、自分の手で書き写したらしい。園田は、体は大きいくせに、ちんまりと子どもっぽい字を書く。  小麦粉一キログラム、水七百ミリリットル、塩二十一グラム、インスタントドライイースト一・八グラム、モルトシロップ二グラム。モルトシロップは、酵母の発酵を促進し、皮の香りと色と硬さを、良質のものにする。 「水が七十パーセントは、ずいぶん多いわね。ドライイーストは、逆にこんなに少ないの。まあ、発酵時間が長いから、普通の量じゃ爆発しちゃうわね」     
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