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美智子は吉川を呼びつけて、まず小言を二つ三つぶつけ、手を洗わせた。カウンターの内側に回り、コーヒーを淹れるためのお湯の沸かし方から説明を始めた。
***
美智子の父が創業したときには、中谷製パン所という名だった。美智子が離婚して父の元に戻り、店舗を増改築して喫茶を始めたのを契機に、製パン所などという古めかしい名も変えることにした。
そのときたまたまラジオからビートルズの「ペニー小路」が流れていたのと、梅雨のさなかで雨が降っていたために、パン屋の名は「雨小路」と決まった。
父が卒中で倒れ、三日後に呆気なく死んでから、もう十六年になる。父に死なれたとき、美智子は独り身の四十歳だった。父の妻だったという老女が焼香に訪れたが、美智子は塩をまいて追い払った。
父の死後、美智子は若い製パン職人を雇った。朝が極端に早く、力仕事の多い製パン職人の業務は、店の経営もこなさなければならない中年女の美智子にとって荷が重すぎた。
園田は、レインレインにおける四人目の職人だ。二十歳で専門学校を卒業してから七年間、美智子の片腕として工房に立っている。
「っ、バゲットですか……」
仕事をしている最中に話しかけると、園田は決まって、一語目を詰まらせる。「あ」とも「う」ともつかない音が、首が長いために目立つ喉仏をビクリと跳ねさせた。
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