バゲット慕情

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 常連客の中には、レインレインの商品情報や日常記をインターネットで公開したらどうか、と提案する者もある。  笑ってごまかしながらも、冗談じゃないわ、と美智子は思う。大事な店の情報を不特定多数の人間に向けて発信するなど、薄気味が悪い。  店のパンを知りたければ、自分の足で買いに来て、自分の舌で味わえばいい。そもそも、お気に入りの店というものは、己の五感を研ぎ澄まして探し出すべきものだ。インターネットとやらでお手軽に調べられると考えるのが間違っている。 ***  二月二十三日である。華の勤務は、今日を含めて、あと二回きりだ。何の変化もなく淡々と仕事をこなす華が、美智子にはなんとなくうらめしい。寂しがるそぶりの一つくらい、見せたらどうかしら。 「出発はいつだっけ?」  美智子が問いを投げかけると、華は洗い物の手を止めた。すぐに作業に戻るつもりらしく、シャツの袖をまくったままで、濡れた手を拭こうともしない。 「部屋は、二月二十八日に引き払います。わたし自身は、三月一日の午前中に、ひとまず実家に帰ります」 「じゃあ、バゲットを焼くのは二十八日の午後かしら。一日の朝に取りにいらっしゃい。二十八日の夜は、どこに泊まるの?」  美智子が尋ねると、華は、少しきまりが悪そうに笑った。     
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