我ら、隠れ住む者たちより。

4/7
前へ
/7ページ
次へ
「七十億の意識が他人を押し合いへし合い蠢いている。絶えることのない対立を繰り返している。そしてそのような有様こそが正しいのだと矯正される。周りのそんな狂気じみた常識に恐れ慄き、絶望し、自分の目を世界から自分の内側へと向け、そして自分の中にもその狂気がカビのようにこびりついているのを発見して、再び絶望に突き落とされる。生きることがとても辛く、苦しくなってしまう。けれど、それでも――」  そうだ。僕は、世界がどんなに意地悪で息苦しい場所なのかということを嫌というほど知っている。そして、いくらその世界に悲観したところで、どんなに周りから逃げようとしたところで意味がないことも知っている。何故なら僕は、いや僕たちは―― 「――生きたいと思っているんだ」  僕の口から突如発せられたその言葉を聴いて、彼は一つ頷いた。その表情は相変わらず優しい微笑をたたえている。しかし、その意味するところは全く変わっていた。いや、彼自身は最初から変わってなどいなかったのかもしれない。今の彼の顔には、諦観の念が刻み込まれていた。 「そう。私たちはただ生きたいだけなのです。けれど、そのためには他人を傷つける主張というものを持たなければいけないのです。勉強も仕事も、全て他人を蹴落とすことでしかありません。人は皆、誰かを傷つけながら生きていくのです。それはとても悲しく、理想とはかけ離れた生き方です。しかし、それはこの世界での生き方に過ぎないのです。私たちの世界では、誰もが独立した生き方を会得しています。私たちは各々が確固たる個人でありながら、ただ一つの共通項を除いては集団を形成しません。ではそれは何かと言いますと、主張を持たないという主張であります。私たちはただこの一つの接点のみで私たちの世界を形成しているのです。それは限りなく薄く、限りなく透明な世界ではあります。けれど私たちは、その世界で限りなく理想に近い生き方をすることができるのです。本当ならば、私たちはそのような主張をも放棄したい思いでした。しかし、私たちにそれはできなかった。私たちは弱かった。主張を持たなければ生きていけなかったのです。何故だか分かりますか? 金子さん」  僕はいつのまにか感動していた。彼の言葉の一つ一つが胸に沁みた。何故全ての主張を棄てて生きることはできないのか。何故僕らは弱いのか。それは―― 「――僕たちが、人間だからだ」
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加