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彼は静かに頷いた。
「そうです。私たちは人間なのです。どれほど他人といるのが辛くとも、どれほど他人から逃げたいと思っても、他人なしには生きられない哀れな種族なのです。孤独に暮らすことができない矮小な精神の主なのです。ですから私たちは年に数回、この圧迫された世界で押しつぶされそうな人間をこちらの世界へ招待します。そして、世界を少しづつ形成していくのです。それ以外の時は、この世界の余白とでも言いましょうか、そのような場所にひっそりと暮らして、誰からも憎悪を向けられず、誰にも悪意を放つ必要のない。そんな理想の世界で、生き続けるのです。私たちはその理想郷にこれからあなたを招待するつもりなのです」
西日が今まさに沈もうとしている。この機を逃したらもうあたりは真っ暗になってしまうのだろう。僕は一生押し潰されて、誰の目にも留まらずに死んでしまうのだろうか。もしその通り、誰からも無視されて生きていくのなら、彼の言う世界へ行くのが一番良い選択なのかもしれない。一番近い身内である両親は既に他界している。元より兄妹なんかいない。この身で妻帯者であるわけがなかった。
気がつくと、僕の目の前には一本の明るい道ができていた。その道はずっと向こうの、あの寛大な包容力を持つ太陽にまで続いていた。こんな僕でも生きていける世界を提供してくれるような太陽があった。そしてなにより、その道はえらく輝いて見えた。一方、後ろを振り向けば、自身の影でできた真っ黒な道がある。先細りして、何も見えない。暗闇で、陰湿な雰囲気をかもし出していた。
僕は太陽に向かって一歩を踏み出した。足がすっと消えていく感覚を味わった。足元を見ると、彼同様、僕の足は消えて無くなっていた。けれど、前に進もうという気持ちとは裏腹に、その消えた足を見ていると胸の内から徐々に恐怖が侵食していくのがわかり、僕はボソッと呟いた。
「僕は、死ぬのだろうか……」
その独り言を彼はしっかり受けとめてくれた。そして赤児をあやすように、僕のその呟きに答えてくれた。
「いいえ、あなたは生きるのです。金子さん。決して逃げるわけでも死ぬわけでもありません。あなたは美しく、そして正しく生きるだけなのです。今のあなたはその美しさに目をあけられず、何が正しいのかわかってないだけなのです。ですからこうして、私があなたを丁寧に導いているのですよ」
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