初めての嘘

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・・・ 一ヶ月後、僕は車イスに乗って、先生に押されながらある場所を目指していた。 「……あ、せんせー!それにおにいちゃんも!」 病室の扉を開けると、少女はこちらに気づいて声をあげた。今日はここにいるように…と前から言っていたはずだが、なぜかベットから飛び出している。 「もー、なにもやることなかったからつまんなかったよ………それで、話ってなに!?」 「………実は…」 「………この子が他の病院に移ることになったんだ」 「…………え?」 少女の目が、大きく見開いた。先生と僕の事を交互に見て、口をパクパクと開閉させている。 「お、おにいちゃん………うそでしょ?」 「…………」 僕はただ下を向いたまま、言葉を発しなかった。少女の悲しんだ顔を見たから…ではなく、少女に「嘘」を伝えたこと。そして、それを僕が先生に頼んだという事実が、胸を締め付けて離さない。 「…………ここでは出来ない治療を、ほかの大きな病院でしてもらうことになったんだ」 なにも喋らない僕の言葉を、先生が代弁してくれる。これも前々から二人で準備していた、ただの「設定」だ。 少女はみるみるうちに泣き崩れ、その場にしゃがみこんだ。その光景にさらに胸が痛くなったが、こうでもしないと、少女をさらに傷つけてしまう。 「…………あのさ」 ポツリ……と、下を向いたまま声をあげた。そのまま言葉を繋げようと思ったが、声が出ない。うまく空気を吸い込めない。 自分が嫌いで、今まで一度もついたことのない「嘘」を口にすることが、これだけ辛いなんて想像もしていなかった。だって大人たちは、平然と口にしていたのだから。 「…………また、いつか会えるから」 声が震えているのが、自分でも分かった。自分のことだけじゃなく、相手の事を守る”嘘”。そんなものもあるんだということは、ほかの誰でもない少女から教わったのだった。 「………ほんと?」 「ああ、約束だよ」 少女は涙を拭いて、僕と指切りをした。濡れていた少女の手は今までで一番暖かかった。 「…………それじゃあ、そろそろ行くね」 「………うん。またね、おにいちゃん」 僕は先生に目配せして、部屋の扉へと近づいた。少女の顔を、優しさをずっと見ていたかったが、一刻も早くここから立ち去りたいという気持ちもあった。
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