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Accident.2 接近
メストル・シティ郊外に、彼女の住む屋敷はある。
夫は資産家で、その妻である彼女――リネーア=ヴァリスも資産家だった。
並外れた金持ちである彼女に、生活の心配はなさそうだった。
しかし、駅から帰宅した彼女は、青い顔をして携帯端末を握り締め、広いリビングの中を行ったり来たりしている。
「……奥様」
見かねたらしいメイドが、声を掛けた。
「少し落ち着かれては。お茶をご用意します」
「落ち着いていられるわけないでしょう!? ヴィエノが、ヴィエノが誘拐されたのよ!?」
リネーアは、キッとメイドを睨み付ける。かと思うと、ユルユルと眉尻を下げ、一緒に下がった視線を再度端末へ落とす。
「……ごめんなさい。あなたの所為じゃないのに……でも、……でも、じっとしていられなくて……」
「分かります。わたくしにも、幼い娘がおりますので」
宥めるように答えるメイドの言葉は、既にリネーアの耳に入っていない。
「奥様。いかがでしょう、もう警察に」
「ダメよ! 通報なんかしたら、ヴィエノが戻らないかも知れないのに」
まるで、ヴィエノの救い主になると言わんばかりに、リネーアは端末に縋るように額を押し当てた。
ヴィエノ――六歳になるリネーアの一人娘が、誘拐されたことが分かったのは、今日の午後のことだ。
いつもの保育所へ、執事のカスト=トレントに迎えにやらせたのに、待てど暮らせど、二人は帰らない。
保育所へ連絡を入れたところ、既にヴィエノは執事に連れられて帰宅したという。
不安に駆られて、トレントの端末に連絡すると、変声機を使った声が通話口に出たのだ。娘を返して欲しければ、一万グロス用意して、メストル・シティ駅中央のベンチと鉢植えの間に置いておけ、警察へ通報したら娘の命はない、と。
更に、トレントが通話口に出て、謝罪の言葉を述べた。身体を痛めつけられでもしたのか、彼の声は、息も絶え絶えだった。
ちなみに、都市部で生活しようと思ったら、月に千四百グロスは要る。
ただ、資産家であるリネーアにとって、今すぐ犯人の要求額を相手に渡すのは、比較的容易だった。
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