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庭を出ようとした、まさにその時だった。
「私の家の庭で、何してるの?」
突如、背後から掛けられた声に振り返った。
振り向いた僕は、長い睫毛をした瞳を不思議そうに細めている、クラスメイトの千衣ちゃんと目が合った。彼女は教室ではいつも静かに本を読んでいるおとなしい子だ。
「ごめん、千衣ちゃんの家だと知らなくて。鈴虫を採っていたんだ」
虫カゴを見せると、千衣ちゃんは悲しそうに眉をぐっと下げた。
「鈴虫の命は短いんだよ。そんな小さいカゴの中に入れられて、可哀想。逃がしてあげて」
予想外の反応にびっくりして虫カゴを見ると、鈴虫は小さな手で必死に虫カゴの壁をさすっていた。
僕は、すぐに鈴虫を青々とした草の茂る庭に逃がした。
「ごめん、僕、ただ綺麗な鳴き声が聞きたくて。鈴虫のこと、全然考えてなかった」
すると、千衣ちゃんの眉はふんわりと柔らかくなって、にっこりと優しく笑った。
「私こそ、ごめんね。鈴虫なんて、なかなかいないから、捕まえるの大変なのに」
そして、
「ちょっと待ってて」
と言い、家の中へ入って行った。
しばらくして戻ってきた千衣ちゃんは、手に風鈴を持っていた。
「鈴虫の代わりになるかどうか分からないけど、あげる。私の宝物の一つだったから大事にしてね」
それは、水色の小さな風鈴で、風に揺れるごとに『チリーン』と涼しい音色を奏でた。それ以来、その風鈴は僕の部屋で音色を奏で続けたのだった。
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