253人が本棚に入れています
本棚に追加
なんて穏やかに笑うんだろう。心のとがりが溶けていく。
「美術教師って言ってたね」
頷いた。
「百音ちゃんのお母さんは、どうすれば描き続けられるか、わかってたんだよね」
寂しげな顔をした。
「君も描き続けられる環境を最優先にするんだよ」
私もそうしたい。でも、具体的にはわからない。
「描き続けるためなら『理解も財力もある相手と結婚する』でも、何でも、かまわないんだ」
目が真剣そのものだ。
「僕は就職してから辞めてしまうまで、十年以上描けなかった」
人見さんは、静かに話し続けた。就職に有利なようにと美大へは進学しなかったらしい。
「講義の時間以外はほとんど絵を描いて過ごした。愚かだった。絵を描く意味を疑って進学先を決めて。素直に自分の心に従えばよかったと後悔もした。だけど、何もかもこれで良かったと今は思える。僕はかけがえのない人に出会えたから……」
奥さんのことだろう。私と同じ歳で、こんなに愛されている。どんな人なのか知りたくなる。
「あんまり待たせると不安がるかな。あっそうだ。百音ちゃんにとっておきの魔法をかけてあげよう。描くの早いんだよね。今から、数枚、僕の絵を描いてみて」
「いいんですか?」
もう少し人見さんを描きたいと思っていた。
時間にして十分程だった。私は、座っている人見さんの回りを移動しながら、描いた。立って見下ろしたり、しゃがんで見上げたりして、数枚、角度の違う顔を描いた。後頭部も描かせてもらった。これで、人見さんが目の前にいなくても、どんな構図でも描ける。私はスケッチブックを閉じた。
人見さんは深呼吸をした。
最初のコメントを投稿しよう!