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人見さんはまず目を描いた。唇、鼻梁、輪郭と描いていく。柔らかなタッチだ。紙に映った顔を好きな順番でなぞっているようだった。あたりをつけるわけでもなく自由に線を描いていくのに、正確なのがわかる。大人しそうな女の子が段々とはっきり見えてくる。
人見さんはページの左下に『Hitomi』とサインを入れた。
「この人が奥さん……」
私を大人っぽいと言ったのがよくわかる。純粋そうな子だ。
最後に『@guitarhythming』と書き込んだ。
「僕の奥さんツイッターをしてるんだ。しばらく落ち込んでも絶対に立ち直る。君に、僕の絵にはちゃんと力があることを見届けて欲しい」
頷いた。
「いつか機会があったら今日の話をしてあげて」
私はいつか必ず会うと心に決めた。
美術館の前で、人見さんと別れた。
桜は満開だ。暖かくなってもまだ風は冷たい。春の柔らかな光に照らされた人見さんは、本当に綺麗だった。ほんの四十分ほど話しただけなのに『永遠の別れ』だと思うと涙がこみ上げた。
私に、一枚の絵を描く理由を与えてくれた。
人見さんは一度振り向いて、私に手を振った。それから、前を向き電話をし始めた。
奥さんと落ち合うのだろう。この辺りには桜の名所がたくさんある。
人見さんの背中を見送りながら、スマートフォンを取り出した。
結城君に電話をかける。すぐに出て、私の名前を呼んだ。
ーー描けたん?
「ううん、まだ……そうやけど、もう大丈夫。描きたい絵が見つかってん」
ーー良かったー。
結城君が喜んでくれている。
人混みに紛れて、とうとう人見さんは見えなくなった。
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