明けの明星に浮かぶ下弦の月

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「この前行った茉莉花さんの墓石の前で 君の大好きなお父さんを俺に下さい。 何があっても君と共に大事にしていきますと誓ったんです」 千歳はその告白をドビュッシーの“月の光”の演奏に乗せて口にした。 かつて聞いたその曲は以前にも増して 心洗われるような静かな澄んだメロディーで俺の耳を撫でる。 まるで千歳の性格をそのまま音にしたらこんな感じだろうと 静寂の中の確固たる意志が伝心してくる。 その告白は一見独り言の形を取っていたが、 俺には―――俺に対する無意識の問い掛けのように思えた。 「……俺も似たようなことを言ったよ。 いつかそっちに行ったら何発でも殴って良いから、 千歳君を俺に譲ってくれないかってね」 「…………」 一瞬だけ止まりそうになった演奏をアルペジオで再び紡ぎ出す。 俺は横になっていた体を起こし千歳の方に改めて座り直した。 「千歳。今、この時だからこそ、言っておく。 もし今、茉莉花が生きていたとして 俺は同じ事を言うつもりだ。 許してくれるまで何度も、何度でもそうする」 途端、ピアノの音が途切れた。 完全に止まった指先は震えているかのようにも見える。 振り向いた千歳はみるみる目を大きくして 瞬きを忘れてしまった子供のように ボロボロと大粒の涙を流した。 「……ぅ……ッ」 それが千歳が俺に一番聞きたくて一番聞けない言葉だと知っていて、 ずっと言ってやらなければいけない言葉だと分かっていた。 だから――― 茉莉花の墓を前に全てを報告した後、 必ず千歳に言おうと決めていた。 例え娘とお前を比べることはできなくとも。 答えはこの1つだけだと。 今、お前をどんなに大事に思っているか、 この嘘偽りのない俺の本音をお前に知っていて欲しい。 「俺は千歳のものだよ」 俯いて前髪で隠れた隙間から見える唇を戦慄かせ 静かに泣いている千歳に一層の愛しさが込み上げてくる。 ……お前の重荷を俺はちゃんと外してやれているか? 「俺も……貴方だけ……」 目線すら合わせてくれない不器用で勝気で 繊細で……俺にしか懐かない可愛くてたまらない 唯一無二の大事な恋人。 「千歳、愛してる」 「…………分かっ……ます」 「未来のピアニストさん……1つリクエストしても?」 千歳はゴシゴシと袖で涙を拭った。 「ど……うぞ」 「亡き王女のためのパヴァーヌを」 完。 =========== 読んで頂き有難うございます。 応援、コメント等々とても嬉しかったです。 https://estar.jp/creator_tool/novels/24596634(本編)
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