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また別の日には、山に登った。とはいっても、少し高い丘の上といった程度のものだが。
そんな山の上で一緒に弁当を食べ、いろんなことを話した。都会のこと、田舎の生活、好きな遊び、面白いテレビ番組などなど……穂香は楽しそうに話し、大きな声で笑う。穂香が笑うと、僕は幸せな気分になった。
あの頃のことを思い出すと、僕は形容の出来ない想いに襲われる。僕の初恋……それは、紛れもなくこの時だ。穂香と遊んでいる時間は、僕にとってかけがえのないものだった。
もっとも、楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまう。やがて夏休みが終わり、僕たちは東京に帰ることとなった。
「そう、帰るんだ」
穂香は、とても悲しそうな表情であった。もっとも、悲しいのは僕も同じである。彼女とは離れたくなかった。穂香と僕の、二人だけの世界……それは、あまりにも美しいものだった。
「僕、また来るから……来年の夏休みに、また来るからね……」
最高に恥ずかしいことが起きた。この時、僕は泣き出していたのだ……。
それは、単なるお別れではない。僕と穂香が築き上げてきた、二人だけの世界……だが、夏の終わりと共に崩壊してしまうのだ。その後の僕に待っているのは、いつもと同じ灰色の世界。退屈きわまりない学校生活が待っている。
その事実が、たまらなく悲しかった。僕は嗚咽を洩らしながら、その場に立ち尽くしていた。
だが、穂香は泣かなかった。にっこり笑って、僕の手を握る。
「また、遊びに来てね」
「絶対……絶対来るからね!」
しかし、僕と穂香は再会できなかった。
その後、父と母の仲は急速に悪くなる。はっきりとは覚えていないが、父の浮気が発覚したのが、それからすぐのことだったように思う。
やがて父と母は離婚し、僕は母の方に引き取られる。そうなると、滝川村に行くことなど出来ない。父方の親戚の家に泊めてもらっていたのに、その親戚との縁が切れてしまったのだから。
僕は、穂香との約束を忘れてはいなかった。しかし、滝川村は幼い少年が独りで行けるような場所ではない。やがて月日が流れていき、いつしか僕の中で、穂香の存在は遠いものになっていた。
彼女のことは、今も忘れられない……だが、思い出すこともなかった。
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