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そして今、彼は泣き続ける愛娘を腕に抱き、真っ白な霧に覆われた森の前に立っていた。グレンを始めにした部隊は徒歩で小一時間程距離にある山脈の麓に待機させている。先程までライオニールと共に山脈を無事に越え、部隊は森に向かって先へと進もうとした。ところが、麓から森に向かって進もうとした途端、馬の歩みが遅くなった。そしてそれから如何程も進まぬ内に、その脚は完全に止まってしまったのだ。明らかに何かに怯える様子を見せる馬達を置いてでも、ライオニールに着いて行くとグレンは言ったが、王命を出して彼を留まらせた。
「これ以上のどんな犠牲も出したくは無い。」
ライオニールの言葉に、誰も言葉が出なかった。何故ならば、明らかに部隊の面々が漏れ無く馬と同じに歩みが重くなっていたからだ。あのグレンでさえ、何とか表情は誤魔化していたものの乱れる呼吸と額を伝う汗を隠せない状態となっていた。そんな中でライオニールだけが──正しくは彼とその腕にある赤ん坊だけが──変わらずにいたのだ。
(伝承はあながち嘘では無いのかもしれない。)
誰も口には出さないが、その時の全員の心の内は同じだった。
(ならば、森にいる者も、本当ならば……。)
皆の前で口にこそ出さなかったが、ライオニールは父の言葉を反芻していた。そして胸に希望と名付けるにはまだ小さ過ぎる光を、けれども確かに感じながら、娘を抱く手に力を込めた。
白い霧に覆われている点を除けば、陰鬱ではあるが普通の森にも見えた。けれども何処か、人の侵入を拒む空気を醸し出していた。7月も半場の夕暮れ時だと言うのに、この一帯だけが乾いて寒々とした空気を具えている。その様子に、ライオニールが躊躇ったのはほんの一時だった。腕の中で昨日よりも弱々しくなっているクレアの泣き声に急かされる様に、彼は森に足を踏み入れた。
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