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「おはよう」
「おはよう」と徹は答える。今日は週番。校舎の出入り口に用意された下駄箱を背にして、登校してくる中学生を迎える。遅刻する人をチェックして生活指導の先生に報告するのだ。徹は3年3組の学級委員で今週は朝のこの仕事の当番である。
「徹、先生の犬だね。おはよう。」憎まれ口をたたかれるのだが、生真面目な徹は気にしない。丸刈りの学ラン、セーラー服に白靴下。出入り口の空間が混雑するのは8時20分、授業開始が40分、30分までに登校しなければ遅刻になる。授業開始のチャイムは鳴るのだが、30分のチャイムは鳴らない。徹は人混みから離れて腕時計の時間を気にしながら校庭を走り来る生徒を眺める。
人混みがおさまると下駄箱から微かにカビ臭い匂いが漂ってくる。朝日を浴びた校庭の清々しさが、それとは対照的なその匂いを気づきやすくする。駆け込みが一段落すると静かなものである。後は時間が来るまで徹は一人で校庭に目をやる。
あれっ、木村香だ。遠くに一人セーラー服、最後の一人になるのか、慌ててこちらに向かって来る。間に合うか間に合わないか。徹は時間を確認する。当に時間は過ぎている。香もそのことに気付いているのだろう、徹の姿を確認しながら息を整えつつ足を進めている。
以前から徹は香に気持ちをよせている。ただ、一度も話したことがない。話をするきっかけになるのか。胸のドキドキを感じながらあれこれ思考する。出入り口で一瞬目が合った。お互い言葉をかけることもなく、徹は再び視線を校庭に向けた。香は遅刻の指摘をしない徹を気にしながら下駄箱で上履きに靴を変えている。
あえて見逃したのだ。徹は腕時計を見つめ、まだ時間が過ぎていないという体でやり過ごした。腕時計が遅れていると思ってくれればいい。ささやかなこの嘘を自分につくことで、徹は改めて香に気持ちをよせたのだ。
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