5人が本棚に入れています
本棚に追加
「……そもそも、俺が話を聞いている必要なんて無かったんだ。
帰る」
舛花は、朽葉とは未だに幾らかの距離を取りつつ、その横を通り過ぎる。
「待って頂戴」
紅碧の求めを聞き入れ、舛花は足を止めるが、振り返りはしない。
「日が落ちているわ」
「だから?」
「女性がひとり、夜道を歩くのはいけないわ。
送ってあげて」
舛花は、漸く振り返る。
「日が落ちていることも、道案内人が役目を全うしなかったことも、
俺には関係無い」
「ここまでの道程を遡る。
難しいことではありません」
少々 趣旨が違ってはいるが、本人のこの言葉は、紅碧の舛花への制止を解くのには十分だ。
舛花は、退場するための歩行を再開した。
均整の取れた男の後姿が、徐々に小さく、日光と共に消えて行こうとする。
それを見届ける前に、声が掛かった。
「朽葉さん」
紅碧から名前を呼ばれ、朽葉は返事をする。
「貴女……
経験は有るんでしょう?」
朽葉は、問いに答えようと、口を開く。
しかし……声が出ない。
紅碧は、唇の形を見て、答えを受け取った。
「貴女が【青】区に来たことに、
その人が関係しているの?」
…………
世界は夜へと移り変わった。
夜の【青】区。
夜の青い空が、くらい青い色が、
朽葉の体を濡らす。
「"彼" と出会わなければ、
私が【青】区に来ることはありませんでした」
不意に、紅碧が優しく微笑んだ。
朽葉は まばたき をすると、振り向く。
「いい男だわ」
__舛花が、朽葉を見据えて言った。
「ついて来い」
そして早々と背を向けてしまった舛花へと、朽葉は頭を下げる。
紅碧にも同じことをしようとして……
その前に、朽葉はこう言った。
「私も、
名前とは、強い力を持つものだと思います」
____
朽葉は、夜道を行く。
深い青色に満たされた視界、
その中心に、舛花を据えながら。
最初のコメントを投稿しよう!