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この店の存在は、知らない。
しかし、在処を知っていたかのような、
目的地としていたかのような足取りだった。
果物屋は露店であるため、太陽が地を照らす時間に営業をする。
そのため、日が昇ったばかりである今であっても、商品を買うことができた。
……喫茶店の入口、
それを照らす照明器具の小さな電球が、明るい色を灯していた。
朽葉は、取っ手を握る。
そして、扉に取り付けられていた鐘を鳴らした。
____
まず朽葉を迎えたのは、男声の、機器による歌声。
伸びやかで落ち着いたそれが、
独特の閉塞感がある店内で、響き渡る。
朽葉は既に、店の人だ。
店に居れば、その間は、
外の状況、そして時間を、忘れさせてくれる。
扉を開けたその先にカウンター席、
それを囲むようにテーブル席が数席在った。
現在、朽葉を除き客人は1人のみ。
その人物は、扉から最奥のテーブル席を陣取っている。
朽葉は……
出入口の扉から最も近いカウンター席に、腰を下ろした。
店内は、掃除が行き届き、物も整理され、
新しい空気を感じる。
同時に、とても長い時間を、ゆっくりと経ているような、古き良き空気も感じた。
華やかでは無い、煌びやかでは無い。
それを目的とした装飾品は無い。
しかし、物足りなくは無い。
むしろ満たされていた。
木造建築の店、その深みある色は、
森の中に居るように、長寿の大木に擁されているように、安らぎを感じさせる。
そして、各々の机上に置かれている花瓶、各々のそれに1輪だけ挿されている、赤い花の存在を引き立てている。
それらの色は相性が良く、この異空間で調和していた。
カウンターの台を挟んだその向こう側に、店主と思われる初老の男性が立った。
肩を張り、背筋を伸ばし、顎を引く。
その姿勢の良さは……相貌と併せると、鋭利、とさえ思う。
しかし、漂う雰囲気は、やわらかい。
腰から丁寧に折られたお辞儀は、客人を歓迎するものだった。
朽葉も椅子の上で劣らずのお辞儀をし、応えた。
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