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なのに彼等はそんなことにも気が付けないほど鈍感な人間のくせして、偉そうにしていたり、人格者と思われていたり、恵まれていたりするのである。
しかし翻って、そんな鈍感さこそが、彼等を幸せにしているだろうとも思うのだ。
この老婆も、人形の赤ん坊をあやしていて他人にどう思われようが知ったことか、という鈍感さを身に付けたら、きっと救われるんじゃないか、その時にはもう人形の赤ちゃんは必要なくなるんじゃないかと思った。
帰りにダイナーの外へ出ると、老婆がたまたま、帰りの自転車の荷台に、人形の赤ちゃんの入ったバッグを落ちないように頑丈にくくりつけているのが見えた。
ずっと人形の赤ちゃんに話しかけ、その機械音と会話していた。
楽しそうだけど、でも表情はやっぱり寂しさに満ちていた。
俺はあまり老婆の邪魔をしないように、それ以上は近づかず、遠くから老婆を見守っていた。
人形の赤ん坊と会話してるところに、誰かが近くで奇異の目を向けても平気でいられるようになった時、それは老婆が狂ってしまった時ではなく、やっと老婆が子離れ出来た時ではないだろうか。
狂っているのではなく、狂わないために人形の赤ん坊をあやしている。
でもその恥ずかしさや寂しさを忘れられるようになった時、人形の赤ちゃんは老婆から巣立っていくだろう。
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