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 後ろから来た町の人間に、長い刺又で背中を押さえつけられる。ナツは体が細い分、助かった。その半円形の鉄の枠から逃れ、手に取れるものを抱えて裸足で走った。抱えきれなかった荷物は諦めるしかなかった。  商店街の路地の奥の馴染みの店の裏口に飛び込む。走りすぎて肺がキリキリ痛んだ。心臓はもうこれ以上激しく動けないというぐらいに弾んでいた。  土間で荷物を抱えてうまく息が吸えるようになるのを待った。表から店主が回り込んで来て「おぅ、ナツ、まだ生きとったか」としわの深い顔で笑った。  転んだ擦り傷や、石を踏んで血が出ていた足の裏に絆創膏を貼ってもらい、ナツはガラスのコップで水を飲んだ。うまい水だった。久々に飲んだからというのもあるし、きちんと浄化された水だというのもあった。森の湧き水は決して飲むのに適しているとは言えない水だ。 『はなえ堂』というのが店の屋号だった。正式に何屋というのかナツにもわからないが、古い日本家屋に、鎧や刀、それから着物や日用品、黄ばんだ本や絵があった。今はもう使われていない昔の貨幣もガラスケースに並んでいる。ナツには年齢がわからない老夫婦がやっている店だ。 「伸びたねぇ」と店の奥さんが鋏を持って来て、ナツの横髪を指で触れた。耳に指が当たってくすぐったかったが、ナツは我慢して前をじっと見ていた。骨張った手が慣れた様子で、髪を切っていく。聞いたところによると、息子たちの髪もよく切ったんだそうだ。ナツは自分でも前髪ぐらいは切るが、後ろは見えないので放っておく。そしてこの店に来た時に、たまに切ってもらうというのがもうずっと続いていた。  店主の老人が眼鏡をかけて、ナツが持って来たものと、店のリストとを見比べている。 「途中で半分ぐらい落とした」ナツが言うと、店主はナツの方に顔を向け、そしてにっこり笑った。 「命を落とさなくて良かったな」 「そうですよ」と夫人も言う。ナツはシャキシャキと鳴る鋏の心地よい音を聞く。ここにいると気持ちが落ち着いた。長居ができないのはわかっていても。 「今頃焼かれてるよな」ナツは惜しそうに言った。
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