1950の一瞬

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「……ばらまく」 「は?」 「橋の上でも船の上でもどこでもいい。ありったけの札を放り投げてやろう」  ジェスチャー付きで男は続ける。午前中はピストルを作った指先が、今度は花を咲かすように宙を踊った。 「手に入れたいのは金じゃなくて、金を手に入れた事実だけ。だから手に入れた後はどうだっていい」 「夢がないな」 「夢を見ていられる年齢なんて一瞬さ」  男の言葉には、わずかな悲壮が滲んでいた。数日前にバーで纏っていた空気が、しっとりと蘇る。  たぶん、語りたい気分なのだろう。あれだけ燦々と輝いていた太陽もすっかり赤く染まっていて、車内に寂しさを残していく。  男はたばこに火をつけた。 「家族も夢も、まばたきをする間に消えて、過去のものになっていく。それを積み重ねて人生が作られているんだ」  吐き出した紫煙は、瞬く間に形を変えて車内に消えていく。 「俺には夢があった。努力し続けていればいつか叶うと信じていたよ。歯車がうまいこと回ってくれていたら、俺はいまごろ華やかなコートの上でスポットライトを浴びていただろう」  語ろうとしているものを、私は知っていた。  男は体を動かすことが好きだった。運動神経はよく体格にも恵まれていたため、幼少期から様々なスポーツを嗜んできたらしい。  その中でも、男が好んだのはバスケットボールだった。  何度かバスケットボールをする男を見たことがある。素人目にみてもレベルが違う。どれだけ人がいても埋もれることなく、プロになってもおかしくないほど輝く姿だった。 「敵はいなかった。どんな試合でも勝つ自信があった。スカウトマンが俺の元にやってきたのは当然で、華やかなコートに立つ未来がはっきり見えていた。俺はこのために生まれてきたって思っていたよ」  そこで男は言葉を区切った。間を置いたのは、感情を押さえ込むためだろう。後悔と空しさの滲む瞳は、濡れているように見えた。  たばこを吸い終えてようやく、男が続きを語る。 「でも、わかったんだ。親父はもう一発の銃弾を放っていたって」 「どういうことだ?」 「俺にしか見えない透明な弾だ。そいつは既に奪っていたのさ――俺が求めていた未来を」  恨めしく空を握りしめた男の手は黒かった。それは日焼けによるものではなく、彼が元から生まれ持ったものだ。
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