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 私はこの時初めて、中学生にもなってお父さんにべたべたすることが恥ずかしいことなのだということを知った。  だって、誰も教えてくれなかったから。  ノブに伸ばしかけていた手を、私はゆっくりと引っ込めて音が鳴らないように殊更慎重に階段を上って、自室へと逃げ込んだ。    詰めていた息を吐いた瞬間、一緒に何かがころんと落ちたような気がしたけれど、気付かないフリをした。  三番目のお父さんも、気がついたら家からいなくなっていた。  お母さんも、家にあまり帰ってこなくなった。  中学を卒業して、高校も卒業して、そして大学に入ったけれど私は、何が普通で何が普通じゃないのかわからないままだった。  普通じゃないと言われたことは、二度とみんなの前で零さないようになった。  常に気を使って、少しでも不穏な空気を察知したらその場から離れた。だって私が何かを言えば、ますます状況は悪化するんだから。  でもいなくなったら逃げた、というレッテルを貼られてそのグループにはいられなくなった。ああ、そうか。また私は間違えたんだ。そう思って私は今度は人付き合いを最小限にするようになった。    空気を読みすぎたら空気を読めないと言われてしまう。  良かれと思ってやったことは全部裏目に出てしまう。  段々と私は喋らなくなっていった。  そんな私を、やっぱり周りはおかしいと囃し立てた。  そんな私にも恋人が出来た。  気は弱いけれど、とても優しくて私のことを大事にしてくれる人だった。  人並みの幸せってこういうものなのかと思って、最初は怖かったけれど、次第に私も彼のことが好きになって行った。  どこかの物語の主人公のように、私は彼と結婚した。式は開かなかったけれど、充分だった。  狭い1ルームのアパート。最初はそこで二人で暮らした。  ささやかに、けれど途切れることのない幸せは私を苦しめた。  いつか、あの日のように切れてしまうんじゃないかと。この頼りのない糸はぷつりと簡単に切れてしまうんじゃないかと。  不安だった。けれど、それを相談するのは普通じゃないと私は知っていた。  それが不安だと思うことは、相手を信用していない証拠なのだと雑誌で読んだからだ。  文句も何も言わない、ただ笑顔でいた。幸せ? と聞かれたら、幸せだよと返した。  その言葉に嘘なんかない、本心だった。
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